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何が読書に繋がるのだろう その3

 自分で読んでいるという自覚を持ったのは、小学校入学してからです。それ以前も絵本に親しんでいましたが、活字から物語を読み取っていたのかは、今、振り返ってもわかりません。

 読めることが大事というプレッシャーをかけられたことはなかったので、絵からなのか、読んでもらって覚えたものなのか、活字からなのか、判別がつかないほど渾然一体としたものとして思い出します。とにかく絵本は私の楽しみのひとつという感じでした。

 自分で読む自覚を持ったのは、月1回1冊自分の本を買ってもらうようになってからです。その本は読み聞かせてもらうものではなく、自分で楽しむものとして渡されました。母は、とても嬉しそうに本を渡してくれて、自分だけの本をもらった喜びと期待を思い出します。

 母は、私が読めているか試さず、私が話をふらない限り、放っておいてくれました。

 読書が好きな母は、特に意図したわけではなく、自分も、読書している時に踏み込まれたり、自分の世界を壊されたくなかったから、自然と干渉しなかったのだとは思います。

 その結果、読めているという絶対的な信頼感を言葉ではなく、行動で示してくれたとも思います。

 そしてそのことは私が読書とは何かを知る最良の環境になったと思います。

 また月1冊というペースも、物語に浸る体験としては最適だったと思います。同じ本を何度も読む楽しみ、繰り返し読むことで気がつくことがあること、物語の中を自在に行ったり来たりするといった物語との関わり方をこの時期に学んだと思います。