2022年1月 · 2022/01/10
 時代が評価を通す本を見分ける目を持ちたいというのが上田子どもの本研究所の目指すところです。実際これは残るであろうと見当をつけた本が必ず残るとは限りませんし、そんな大それた事と感じる方もいらっしゃるかもしれません。百発百中の的中率を狙っているのではなく、当たりがつけられることを、それも上田市という小さい街においての子どもの本の目利き集団を形成したいと考えているのです。  最初は時代が評価を通してきた本、そしてこれからも残るであろう本がちゃんと評価されずに子どもたちの手に渡らないことがあまりに残念でなんとかしたいという思いでこの目利き集団を思いつきました。けれど出版不況と言われて久しく、子どもたちの本をめぐる状況もどんどん追い込まれていると感じています。新しい本が出版されなければ出版社が維持できないということはわかっています。けれど売れることに比重が行きすぎて目新しさと話題性だけの本が続々と出版され、子どもたちの読書環境を歪めてしまっていると感じています。もちろん経営との板挟みになりながらも子どもたちの未来を見据えた本を作っている人たちもいらっしゃいます。けれど内容よりもヒット商品を狙う姿勢の本作りが増えていると感じています。ですから子どもたちの読書環境を整える意味でも私たちに本を見分ける力が必要なのだと思います。  とはいえ大上段に振りかぶるつもりはありません。私たちは仕事で子どもの本に関わっていますが、ひとりの生活者でもあります。そしてそれなりに歳を重ねてきています。そこでその本をまずは自分の子どもに渡したいかどうかがまず一つ目のチェック項目です。我が子でなくとも生活している様を知っている顔見知りの子どもや親戚の子どもでも構わないと思います。大事なのは本だけでつながっている子ではなく、親しい子どもだという点です。関係性が深く自分の影響力が強い子どもに渡すかどうかだと客観性が失われる印象がありますが、親しい子どもに渡すとなると真剣に相手のことを考え厳選しようとすることになります。そして今渡すわけではないので、親の目論見のような雑味が抜けるのでチェック項目として有効活用できると考えています。実は時代が評価を通した本というのは我が子だけでなく孫まで含めた3世代で読み継いでいくことです。これがどれだけ大変なことか、そして出版側だけに任せておいては守れないものだということは想像に難くないと思います。だからこそやってみたいと考えています。
2022年1月 · 2022/01/01
 上田子どもの本研究所の立ち上げの段階でコロナ禍に見舞われたこともあり、方向性を共有しようと昨年はとりあえずどのくらい書けるのかを試すような書き方をしてきました。...

2021年12月 · 2021/12/31
 文章を書くのが苦手と言いながら書き続け何とか大晦日を迎えました。話をするのだったら楽なのにと思いつつ不思議と何とかなるものだと我ながら驚いています。どれだけ続けるか決めていたわけではなく、今日書くことだけを考えてきました。性格的に数を意識すると押しつぶされることが自分でも予想できたからです。そして1ヶ月2ヶ月と続くと徐々に欲がでてきて少しづつ先のことを考えるようになりました。せっかくだから100回は続けよう、半年、10ヶ月、そして一年という形で耐久レースのようになっていきました。書きたいことがあるのにうまく文章にならないというもどかしさは付き纏いましたが、不思議と書きたいことは尽きませんでした。加えて毎日読んでうまく読み取れないところを指摘してくれる友人に恵まれたことも大きかったと思います。私は相手にわかるように説明したいタイプなので対面で話すのが好きなのですが、書いたものはそのやりとりができません。けれど聞き返してくれる友人がいたことで力が発揮できたと感じています。今まで書けなかったのは辛抱強く聞き返してくれる相手に恵まれなかったからだと思うくらいです。  学生時代から試験勉強なども一夜漬けタイプでコツコツ積み重ねることが苦手だったのですが、毎日の積み重ねが実を結ぶことを体感した一年でした。拙い文章を読んでくださった方々に感謝しています。そしてせっかく書く習慣がついたのでブログは続けていこうと思っています。ただこのペースでは書かないかもしれません。お会いして話す機会が作れればこの分量はいらないかなと思うからです。感染症の流行という個々ではコントロールしきれないものと付き合う毎日は、明日の事態を予測しきれないので何かあったら臨機応変に対応したり柔軟に予定を変えることを受け入れて暮らすことでもあります。けれど毎日の生活を大切にしていくことが思わぬ実りをもたらすことを今年体験しました。そして他の人と力を合わせることで足し算ではなく掛け算のように実りが大きくなることを実感しました。この体験を活かして来年も過ごしたいと思います。
2021年12月 · 2021/12/30
 職を得るということは賃金が発生することです。生きていくために労働することは欠かせません。けれど賃金が発生するということは労働力がお金で評価されていくともいえます。働く側からしたら、同じ働くなら賃金が高い方がいいに決まっています。そして効率よくお金を稼ぐことを目指す形になっていくのは当然の結果だと思います。最近ネットニュースなどで目にする「億り人」という言葉なども資産を築くことを目指す人が多いことを表していると感じています。  けれど賃金が発生しない労働も私たちの生活を支えています。その代表的なものは家事労働です。衣食住を整えるのは意外と手がかかるものですが、それには賃金は発生しません。もちろん暮らしていたらどうしても必要なものですから代わりにやってもらうわけではなく、自分でやるのだから労働とはいえないという意見もあるかと思います。けれど家事はハウスクリーニングなどの仕事として請け負う場合があるものです。綺麗事に聞こえるかもしれませんが大事なのはお金にならないことを軽んじないことだと考えています。仕事の重要性をお金で評価すると生活のバランスが崩れ人としての営みに不具合が出るような気がしています。残念ながら仕事の重要性と労働力に対する対価は比例していないと思うからです。またコロナ禍により一気に命がけの現場になった病院などをみても、平時とコロナ禍では同じ賃金ではやっていられないと思う人が出ても不思議はありません。お金で評価すること自体が難しいことをコロナ禍で目の当たりにした感じがしています。  億り人に憧れますし、お金がなければできないこともたくさんあります。お金が解決してくれることもあるでしょう。ただそれと同時にお金にならなくても大事なことを忘れてはいけないと思います。ミヒャエル・エンデの『モモ』は時間を問題にしていましたが、取り扱い方を間違えるとお金でも同じようなことが起こりかねないと思います。

2021年12月 · 2021/12/29
 上田市の学校司書は異動があります。ですから上田市の学校司書として何を目的にどう仕事をするのかの共通の目標があったほうがいいと考えています。せっかく学校司書が各校に配置され継続的に仕事をする形になっているのに異動があるため方向性がバラバラだと継続していることが活かされないと思うからです。学校司書は子どもたちがどういう形で読めるようになっていくのかを感じていくことが力になります。ですから異動があることはむしろ強みで、中学校と小学校の両方経験していくことや色々な学校で仕事をすることは学校司書にとって大事な経験だと思います。ただ現状この採用形態では配置された学校図書館の改善や教員の要望に応えることという現時点の仕事内容で手一杯だと思います。  けれど子どもたちがどう育っていくのかの見通しが立つことや中学生になった時にどうあって欲しいという目標がはっきりすると現時点で迷っていることの答えに行き着く可能性が高くなります。学校司書の仕事を増やそうというのではなく、迷いを減らすために目標が必要です。本来なら雇用主である教育委員会がその指針を示すべきだという意見もありますが、今まで示されなかったという状況を考えると雇用条件との関係もあり難しいのだと思います。  そこで学校司書側が自分たちが上田市の子どもたちに何をもたらそうとして働くのかを提案してみるのはどうだろうと考えています。この雇用条件で実現できる最上のものを図書館を知らない行政の人にプレゼンテーションしていくことで、この行き詰まりを解消できるのではないかと考えています。今まで労働条件から交渉しそれに見合った働き方という考え方で上田市の学校司書は仕事をしてきました。そして団結することで自分たちの立場を学校司書として確立してきたという成果があります。けれどこの方法では学校図書館の可能性を知らない行政に交渉するのは限界があると感じています。現場にいる学校司書が学校図書館の可能性を一番知っていますし、子どもたちが何に困っているのかも肌で感じています。そこをアピールして仕事の優先順位をつけていければ行政も変わっていくのではないかと思うのです。上田子どもの本研究所の取り組みの一つとして考えていきたい案件です。
2021年12月 · 2021/12/28
 昨日子どもの読書に関する意見交換をZOOMでしました。私は昨年小学校で一回ZOOMを使った本はともだちをしたことがありますが、それは片方向の配信といった感じで、使った印象はユーチューブをアップしているのとあまり変わりませんでした。けれど今回は双方向でやりとりをしたため、遅ればせながらのZOOM会議デビューでした。その中に中学生に20年ほど地道にブックトークをされている方がいらして、その方がやはり変化を実感できるほどになるには10年はかかるとおっしゃっていたのが印象的でした。10年間、同じ中学でブックトークをすると学校図書館の蔵書が変化してきてそれが中学生の読書が変化する土壌になるのではないかというご意見は、選書の重要性が証明されたようで意を強くしました。あと意外だったのが学校での読み聞かせボランティアの活動が浸透したことで中学生が絵本を紹介されることに抵抗感がなくなったという話です。その方が中学でブックトークを始められた頃は、紹介する本に絵本を入れると聞き手の中学生が表情を曇らせたものだったそうですが今は絵本を歓迎する雰囲気があるのだそうです。絵本と一口にいっても色々な作品があるので絵本に対する抵抗感が薄れたことは中学生にブックトークをする上ではプラスに働いたそうです。ひとり読みを始めた子どもたちと付き合っていても私が本はともだちを始めた頃より読めなくなっていると感じるのですから、その延長線上の中学生が読めなくなっているのは想像がつきます。絵本を使うことができなかったらブックトークは困難だと思われるのももっともだと思いました。  そして小学生から中学生まで継続して支援ができれば、変化はもっと大きく感じられるだろうと思いました。手前味噌ですが上田子どもの本研究所は上田に限定して活動しようとしています。地域を限定することで子どもが読書にどう取り組んで欲しいのかをすり合わせることができ目指す子ども像を統一することで継続的な支援が可能になると思うのです。上田子どもの本研究所はまだ最初の一歩が踏み出せていませんがいよいよ機は熟したと感じています。コロナに阻まれてもZOOMなら会議はできると初めてのZOOM会議に参加して思いました。時間と場所を決めればもう始められると感じました。

2021年12月 · 2021/12/27
 私の親にあたる世代の人に今の小学生の状況を話すと驚かれる事があります。私の親世代となると今の小学生は孫世代を通り越しひ孫の世代になります。三世代を越えるとその違いを想像しきれないのか、昨今の変化が激しいのか判断がつきませんが、どうしてそんなことになるのか理解できないようです。例えば私の親世代だと学校で先生の指示を守ることが当たり前で、指示に従わないこと自体が想像の域を超えることです。その親に育てられた私の世代は親世代ほどの使命感はなくとも、とりあえず先生の言うことには従わなければならないので指示されたことに納得していなくても逆らわないようにしていたように思います。そして中学生ぐらいになると先生の指示に従わないことで自己主張する子が現れたりしましたが、不良と呼ばれ遠巻きにされていました。今思えばとんでもない命名ですがその当時は使っていい言葉でした。そして不満を隠して指示を聞いてきた私の世代が育てた子どもたちは徐々に先生の指示を疑ってかかることが当たり前になっていたのだと思います。親である私の世代が先生に対してさほどいいイメージを持っていないのですから直接言動に表さないようにしていたとしても、先生に対する不信感が子どもに反映されるのは不思議のないことだったと思います。そして先生の指示を鵜呑みにしなくてもいいと考えた私の子どもにあたる世代の子どもたちが今の小学生です。  こうやって見ていくと変化は突然起こるのではない事がよくわかります。子どもの読書に関わってきて思うのは変化が見えなくとも続けることの重要性です。子どもたちが読書する習慣を身につけ読書に親しむことができる事が子どもたちの人生にとって必要な事だと強く思います。人生何があるかわかりませんが、どんな時もどんな人にとっても人として生きていくための助けになるのが読書だと思います。ですから何を読むかではなく読みたい時に読みたいものを読めるようにするのが子ども読書推進の要なのだと思います。私たちは子どもたちが読む力を身につけてくれるようサポートし、将来その子たちが次の子どもたちをサポートしてくれることを信じて焦らずコツコツと取り組んでいければと思います。
2021年12月 · 2021/12/26
 本の紹介だけでなく読み聞かせもそうですが、声を使って伝えることは自分が思っている以上に伝える側の心の持ちようが大事です。気が散っていたりするとそれが声にのって聞いている側に伝わるからです。気が散っていると言っても伝えようとしている事と違うことを考えてしまう事全般が該当し様々なものが含まれます。気が散るというと今やっていることと別のことを考えていることが思い浮かびますがおとなの場合その点のコントロールは難しくありません。けれど自分一人の作業と違って人に伝える時には伝えようとすることから意識が逸れることも気が散っている印象を聞き手に与えます。例えば言い間違えた時、しまったと思い間違えないようにしようと気を引き締めると間違えないようにしようという意識が声にのります。ですから聞いている方には間違えないように話すことが大事ということも伝えている側の意識とは別に伝わります。聞いている側は伝える側の事情などは本当は知りたいことではないと思います。どちらかというとそういうものが混ざると本当に伝えたい事の純度が下がり雑音が混ざるような感じになるので本当に大事なものを受け取りにくくなるのだと考えています。声を使って伝える難しさはここにあります。伝えている側の集中力が問われるのです。  そして語る時には聞き手という伝えたいことの受け取り手がいるので、聞き手の様子を感じながら伝えていく必要があります。集中力といっても自分の中で完結して閉じた形にしては本末転倒なのです。ですから本の紹介や読み聞かせは聞き手と伝える側双方で作り上げるものだと考えています。一回一回違い、同じ本を使っていてもそっくり同じにならない事が魅力でもあるのです。声を使うということは、こういった一期一会の感覚から切り離せないものなのだと考えています。録音では伝わらないものがあると感じているのは、この聞き手と伝える側が相互に影響しあっていることと伝える側の伝えようとする集中力が見せてくれるものがあるからです。声を使って伝えることの奥深さを感じています。

2021年12月 · 2021/12/25
 本はともだちをしていると、微動だにしない感じだった子どもたちが突然動き出したような気がすることがあります。例えば紹介した本で好きだった本を聞いた際、その本が好きだった人に「実はこの本には続きがあるんだけれど図書館で探した人いる?」といった言葉がけをします。1回目はふうんといった感じなのですが、2回目以降、「見た」とか「見つけた」という声が上がるようになってきます。そこでもう一押し「読んだ人いる?」と声をかけるようにします。子どもたちの反応によっては「見つけるより読んだ方がおもしろいよ」という形で伝えることもあります。そして誰が手をあげるのかということはおとなが思うより子どもたちはよく見ています。手をあげる事が刺激になって本を探そうという気運がクラスに満ちてきたら子どもたちは自発的に動き出します。ですから側から見ていると受け身だった子どもたちが突然動き出したような錯覚に陥りますが、これは子どもたちにとっては突然ではないのだろうと思います。ちゃんと伝わっていれば、あとは待っていることも大事なのだとこんな時思います。  子どもの変化のスピードはおとながコントロールしきれない物だと思います。驚くほど早いこともあれば待っているのが嫌になるほど遅いこともあるからです。まして集団だと子どもたちの組み合わせによってどんな影響を受け合い何が起こるのかを予想するのが余計難しくなります。けれど影響しあって着実に変化していく柔軟性が子どもたちには備わっています。個人で身につけるより集団で身につける方が周りを巻き込んだダイナミックな変化になり、子どもたちの成長の幅が大きくなると感じています。大袈裟にいえば人間は群れで生活する事が遺伝子レベルで組み込まれているのだなあと思います。  ただ集団を活かし手をあげることを効果的に使うには多数派に属したいという人間の本能のようなものが強く出ないような配慮は必要です。「好きな本に手をあげて」と言った時にたくさん手が上がる本はどれだろうという観察をする子が出てきます。そしてたくさん手が上がった本にあげようとする子がいます。また自分が好きでない本の時に否定的なことを言って他の子の手をあげにくくさせたりする事があります。そのため読書の場合多数派に属する事がいいことではないというメッセージを直接的な言葉ではなく伝え続けています。具体的には手をあげる子が少ない本に対して「この本私も好き」とか内容を取り上げて「このシーンよかったよね」と手を上げた子と共感し合うようにしています。自分で読んで確かめて自分が好きな本で本はともだちの紹介本を決めているのは紹介したどの本が好きと言われても共感でき集団を味方につけるための方法なのだと改めて思います。
2021年12月 · 2021/12/24
 本はともだち事業も各校ほぼあと一回を残すところになってきました。全6回のうち5回目ともなると、子どもたちはこの時間が何を自分たちにもたらすのかが体感的にわかってきます。そのため紹介された本を積極的に読むという感じから徐々に紹介された本を読む事が当たり前になっていきます。とは言っても本はともだちのルールがうまく浸透せずに「全員が全冊読んで完成する」と言われていても自分がその全員に含まれていることを自覚できない子が出ることもあります。本はともだちの時間では前回紹介した本6冊に共通しているテーマを聞くために、一冊づつ紹介した本のタイトルを言って好きだと思った本に手をあげてということを毎回しています。その際に「読んでない」と声を上げる子が出るのです。けれど回数を重ねるうちに徐々にその声は少なくなっていきます。  私が口にしているのは「本はともだちは私がしゃべったところまでで半分」と「全員が全冊読んで完成」と「一緒に本はともだち作ってくれますか」の3点です。そして「読んでない」という声に対しては「じゃあまだの人は読んでおいてね」と「読んだ本の中でって聞いているよ」の2点です。ただこれは毎回必ず伝えています。そしてクラス単位でやっているためにこの私の言葉がけは集団としての理解を深める作用を生みます。具体的には紹介された本を回す際によくわかっていない子にわかっている子が注意したり、担任の先生が指導してくれたりするのです。同じことを何回も言われることに対してそんなことわかっているという不満にならないのは、自分ひとりの問題ではないからです。ここがクラス単位で展開する醍醐味だと思います。  そして大事なのは待つことだと感じています。ぱっと反応できることやすぐ効果が目に見えることの方が伝えている方は手応えを感じます。けれど子どもたちと関わる際には変化していくことを信じて待つことが重要だと考えています。そしてひとりより集団の方が影響しあって効果が持続します。集団で過ごすことはいろいろな軋轢が生まれることですが、捨てがたい効果も生まれます。学校の問題点ばかりが取り上げられる昨今ですが、目に見えるような形で子どもたちの変化が感じられるのは集団で取り組んでいるからだと思います。

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