2021年4月

2021年4月 · 2021/04/30
 私が子どもの読書に関わるようになったのは、ストーリーテリングを始めたことがきっかけでした。昔話を語ることが出発点のせいか、物語の根幹は普遍的価値で形作られていると感じています。...
2021年4月 · 2021/04/29
 本の出版点数が増え、毎年毎年途切れることなく新作が生み出されています。到底読み切れない本とどう付き合うのか難しい時代になっています。読書の楽しさを知っていても何を読もうかと考えた時、選択肢が多すぎて選べないと思うことがあります。特に新刊にときめきを感じなくなっています。私が歳を重ねて新刊を追うことに疲れてきたせいなのか、実際新刊に魅力がないのか自分でも判断がついていません。  ただ最近、作家が職業として執筆をとらえる傾向が強くなっていると感じています。作家が職業として成り立つことに問題があるのではなく、成り立つために書くことが読者にとって歓迎すべき結果を生まないのではないかと思うのです。作家を生業とするには一定程度の収入が見込めないと生業にはなりません。そのため作品を数を数多く生み出す必要が出てきます。数をこなすには効率よく書ける必要があり、そのためのテクニックが生まれます。書くための取材や情報収集などもできるだけ効率化する必要が出てくるのではないかと想像します。そんな中でコンスタントに質を落とさずに描き続けるには才能と努力が必要だと思います。  けれど効率化を図ったら表現できない世界もあると思います。効率化の対極にある作品で思い浮かぶのがロバート・マックロスキーの『かもさんおとおり』です。アメリカのボストンの街を舞台にマラードさんというかもの夫婦が卵を孵す絵本なのですが、子がもたちの姿が実に生き生きと描かれています。この魅力的なかもを描くために、マックロスキーは自宅の浴室で実際かもを飼って観察したという創作の背景を知った時は本当に驚いたものです。このマックロスキーのこだわりが思わず見入ってしまう躍動感に溢れ表情豊かなかもの絵になっているのだと感じます。  『かもさんおとおり』は1941年にアメリカで出版され、日本では1965年に出版されました。出版されて80年読み継がれている絵本です。時代を超えて評価される本は効率化と無縁の世界で生み出されるのではないかと感じています。  効率化に異論を唱えると時代が違う、懐古主義と言われます。けれど消費されていく本と読み継がれていく本があることも事実です。また違いを生むのは効率化以外の理由もあるのかもしれません。理由はどうであれ読み継がれてきた本を守り、読み継がれていく本を見極め大切にしていきたいと考えています。

2021年4月 · 2021/04/28
 ストーリーテリングをしていると、昔話の構成に感心することがあります。骨組みがしっかりしていて無駄がなく必要最小限の言葉で物語が進む様は、ひとり読みを始めた子どもの本を考える時のヒントになると考えています。...
2021年4月 · 2021/04/27
 公共という形で図書館があることは、とても豊かなことだと思います。図書館の場合無料の原則がありますから必要最低限のルールさえ守れば、来館者を選別しないという点で公共性も高いと感じています。図書館は人生のどの時点からでも本人の意思で学ぶことが可能な開かれた場所であることから生涯学習の拠点とも言われます。そして学校のように学びに並走してくれる人や導いてくれる人はいませんが、文字さえ読めれば学びの扉は開けます。もちろん独学では限度があることもありますが、どうしたら知識や技能を得られるか調べることができます。  私が活字を苦もなく読めるようになる事を子ども読書推進の基盤だと考える理由はここにあります。人生何が起こるかわかりません。自分の暮らしを守るには自分から動くしかありませんし、それを知る必要があります。特にもしもの時の生活を支える公共のサポートは申請しないと受けられません。また運転免許証のような今やほとんど誰もが取得する資格でも活字が読めないと取得できないのです。今の社会のルールでは読むことが苦手でも読めるようになる必要はあると考えています。公共図書館が生涯学習の拠点なら、学校図書館は識字の拠点だと思います。子どもたちの将来を見据えて子どもたちをサポートしていく必要があります。子どもたちのつまずきに合わせて読めることの下支えをし、押し上げる視点を持つことが大事です。

2021年4月 · 2021/04/26
 月1回のペースでお茶を飲みながら本の話をしようという集まりをしています。残念ながらコロナ禍で現在お茶は我慢になっていますが、集まり自体は続けています。課題の本があるわけではなく、参加者はそれぞれ今お気に入りの本を持ち寄りそれぞれ紹介するスタイルです。ルールは今お気に入りの本なので、小説やエッセーに限らず雑誌、漫画、写真集など様々な本が紹介されます。  この集まりを始めて思うのは、持ってきた本への思いは、紹介の仕方に関わらずちゃんと伝わるということです。話し方や手際よく紹介しているかより、紹介者がその本のどこに惹かれたのかが伝わることが紹介された本の魅力を引き立たせるのです。  そしてこの集まりのもう一つのルールは、自分が何者かは自己紹介しないことです。この本が好きな私という形で知り合っていきます。時間が合えば来てくださいという緩い集まりなので、いろいろな方が気が向いた時にいらしてくださいますが、お会いする回数が増えると紹介される本がその人らしいと感じるようになるのも楽しみの一つです。その本を紹介した人として参加者同士の記憶に残り、「あの本を紹介した人」と次回以降の集まりで話題になったりします。  また紹介された本を読みたい場合は図書館にリクエストを出したり、ものによっては紹介した人に借りたりして、実際読むことも楽しいです。紹介された本を読んでそれをまた紹介することもあり、本で繋がる感じが気に入っています。  やはり本は読んでみないとわからないと思います。今図書館では新しく購入する本を新刊案内から選んでいます。現状の出版点数に対応するには今のやり方が適している部分もあります。けれど読んで確かめることでしか判断がつかないこともあります。特に子どもの本は読んで確かめたいと強く思います。その時間と手間を誰がどう作るのかと考えると無謀で無責任な考え方と笑われそうです。それでも読んで確かめ合う場を作りたいと考えています。あまりハードルを上げずお気に入りの子どもの本を持ち寄るところから始めてみたいです。
2021年4月 · 2021/04/25
 アニメと漫画について書きましたが、今回は漫画とノベルズ版について考えてみます。  図書館、特に学校図書館では漫画を蔵書に入れない所が多いです。上田市だけでなく他の地域においても漫画に関して選書できるほどの基準が確立しておらず予算等の問題もあり暫定的ではありますが漫画の購入をしない選択になっているのだと思います。...

2021年4月 · 2021/04/24
 先日、自宅の本棚を整理していて、久しぶりに学生時代に好きだった本を手に取りました。そして本文のレイアウトに驚きました。最近出版されているものより、活字が小さく行間も狭く空白が少ないのです。比べることがなかったので、これほど変化してきているとは思いませんでした。情けないことに今の私は、このぎっしりと活字が詰まった版で読みたいとは思わなかったのです。子どもたちに本を紹介するときに、字の大きさも文字の多さも本の厚さもおもしろさには関係ないと胸を張って言っているにもかかわらず、そしておもしろい本だとわかっているにもかかわらず読みたいと思えなかったことに愕然としました。  読みたいという気持ちが紙面から受ける活字の印象で左右されるということは、読書の楽しみを知っていても起こることを自覚してしまいました。そこで理由を考えてみました。  まず思いついたのは、見え方の問題です。加齢と共に視力が徐々に衰えてきています。活字の大きさや行間の狭さは読みにくさにつながり、文字の判別に労力を割くことになります。そのため紙面から受けるマイナスの印象が読む意欲の減退につながってしまうのではないかと考えました。  次に思いついたのは体力の問題です。最近一気に読みあげることが減っていると感じています。しなければいけないことが増えて時間が自由にならないことを差し引いても、夢中になって時間を忘れて読むということができなくなっているのだと思います。これは体力ひいては集中力や持続力の低下が招いているのだと思います。  以上の2点は共に加齢の問題ですが、ただこれだけでは理由としては弱い感じがしました。  そこで最後に思いついたのが、活字に対する飢えです。紙面のレイアウトに関しては遡ると活字の大きさや行間のみならず段組が違っています。2段組どころか3段組といった辞書のような作りの物もめずらしくありませんでした。本自体も厚みがあり表紙が堅牢な本が多かったと思います。本が手に入らない時代には活字に対する飢えがあったので分量のある本が好まれ、それがレイアウトに反映されたのでしょう。そう考えると時代の反映ということになるかと思います。  時代は変わり本だけでなく様々なメディアや娯楽が増えて活字に対する飢えというほどの状況にはならないことは幸せなことだと思います。それでも物語を求める気持ちは必要だと思います。読み終わってしまうのがもったいなくて、もっと続いて欲しいと思うくらいの気持ちは、今の時代でも持つことができます。そう考えるとやはり本の厚さや活字の大きさは物語のおもしろさには関係なく、読みたい気持ちは本のレイアウトに左右されないのだと感じています。
2021年4月 · 2021/04/23
 メディアミックス化が進み、好きで追いかけていないと何が原作かわからないものものが増えてきていますが、漫画とアニメを比較して意図的に見たことはありませんでした。まとめてアニメを見る機会があったので整理して見ます。...

2021年4月 · 2021/04/22
 図書館で行われている曝書が何なのかは意外と一般には知られていないと思います。図書館をよく利用される人でも、図書館の休館日が続く期間位の受け止め方だと思います。曝書という言葉自体古い言葉で、元々の意味は本の虫干のことです。使う場が限られた言葉を図書館で使ってきたこともあり、曝書という言葉ではなく、蔵書点検とか特別整理期間という呼び方が使われることも多くなってきています。けれど蔵書点検という言葉に変えたからと言って、利用者の理解が深まったかと言えば、残念ながら理解されている感じはしていません。  曝書は恐ろしく手間のかかる作業です。図書の台帳であるデータベースと所蔵する現物すべてを照らし合わせて所在を確認するのですが、図書館の蔵書は年々増えていくものです。例えば上田図書館の蔵書数は現在約30万冊です。30万冊すべてを台帳と付き合わせることを想像してもらうとわかりやすいと思います。台帳がデータベースになり、バーコードやICタグが導入され数の管理の合理化が図られてきた経緯には数との戦いがあり、切実な問題なのだと想像できます。  実際曝書中の図書館に入ったことがありますが、図書館は倉庫でもあるのだと感じました。ラベリングすることで綺麗に整理されているからこそあの数があの空間に収まっているのです。適当に並べたらとても収納しきれないものだと思います。そして埃はどの空間にも降り積もるものなので、普段のお掃除では手が回りきらないところが出るのは一般の家庭と同じだと思いました。家庭でも大掃除が必要なように、一斉にすべての図書を点検することは図書館でも必要だと思います。  ただ図書館は閉館期間が長いと利用者に迷惑がかかると考えるので閉館期間を短くしようと努力します。解決方法として技術の導入ということになるのですが、利用者を含めて便利との折り合いをつけた方がいいと考えています。利用者は図書館が図書館であるために曝書期間がどれだけ重要かを知ることが大事です。そして図書館は曝書作業自体が図書館員にとって恩恵をもたらすことを意識した人員配置や時間を確保して欲しいと思います。  残念ながら図書館員が置かれている現状はそれを許さない方向に進んでいます。まずは利用者が閉館期間を受容し待つことで便利と折り合いをつけ、図書館員は利用者が後押しした時間を効率化に流されない方向で活用できないか考えています。
2021年4月 · 2021/04/21
 AIが脚光を浴び出してから人間にしかできないことをしていかないと生き残れないのではと言われています。今私たちが携わってる様々な職業も将来淘汰され残らないものが出るとも言われています。そのため単調な作業は機械やAIが肩代わりするだろうと予測され軽んじられている風潮を感じます。もちろん職業は労働力に対して対価が支払われるものですから、時代によって必要とされる職種が変わることは歴史を紐解くまでもなく過去にもありました。そして技術の発達の恩恵を私たちは受けてきました。  けれど私たちが生活する上で技術で補って欲しいことは既に飽和状態にある感じがしています。新しい技術で生活を改善して欲しいという要求が弱い気がします。これはもしかしたら閃きやアイディアが枯渇しているのではなく、人間も生物である以上技術で補ったほうがいいことには限度があるからではないかと思うのです。不便か便利かの選択肢で選ぶのなら、もちろん便利な方がいいのですが、本当にそれでいいのかという段階にきている気がします。  これは図書館にも当てはまります。特に上田市の図書館の規模では技術で補ったほうがいいことは既に実現しているのではないかと思うのです。例えば蔵書点検も本にICタグを埋め込むことによって棚ごと一度に確認ができたりします。一冊づつ点検するより格段に手間がかかりません。けれど手間をかけたほうが蔵書の印象が作業した人間に刻まれます。何を持っているかはデータベースになっているので調べるスキルがあれば図書館職員がわざわざ覚える必要はないもしくは覚えること自体が合理的でないという考え方もあります。そして職員の配置方法や採用の仕方で蔵書の知識を持つことがプラスに働かないこともあります。けれど利便性だけで判断すると図書館の根幹が揺らぐ気がします。  私は手間をかけることも含めて図書館があるのだと思います。選書して蔵書を構築している以上、人が手を入れてこそ図書館が活きるような気がします。技術を導入して今風にすることで生き残れることもありますが、あえて昔気質を貫くことで生き残れることもあると考えています。

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