2021年11月

2021年11月 · 2021/11/30
 今更改めていうのもおこがましいですが、自分の考えをわかってもらうには相手がわかるように伝えることが大事です。うまく伝わらないときは、伝えようとした内容に問題があることもありますが、相手が理解できるような伝え方ができていないことも多いと感じています。これは伝える相手が子どもであっても同じだと考えています。そして子どもに伝えるほうがより正確に相手の状況を見定める必要があるのだと思います。けれど意外と伝え方ではなく、内容自体を見直してしまうことが多いように思います。本の紹介などはその際たる例で紹介した本を子どもたちが読もうとしないのは、本の内容が子どもたちに向かなかったと思いがちですが、紹介の内容が子どもたちに伝わらなかったということもあると思います。  そしてこの感覚は言葉の選択と関わっていると感じています。あえて子どもたちが親しんでいる言葉を選択すると内容が伝わりやすいと体験的に思います。わかってもらうように伝えるためにはどちらかのフィールドに引き込むのではなく、お互いが相手のフィールドを感じつつ共存できる位置を見つけることかもしれません。例えばゲームに親しんでいる子にアイテムという言葉を使うと驚くほど伝わることがあります。魔法の杖をこの杖は魔法が使えるアイテムと言った方がうまく伝わるのです。本の中で使われている言葉をそのまま使うことは紹介している側のフィールドに引き込むことだと感じています。そして正確な方が作品を尊重していると思われる方もいらっしゃると思います。けれど本の紹介はその本を読んでみようかなと思ってもらうことが大事ですから、あえて書いてある通りに言わなくてもいいこともあると考えています。そして子どもが自分で読むことで魔法の杖という言葉が蓄えられていくので、そこは子どもに任せてもいいのだと思います。ここが正確に言葉を使うことで言葉の習得を目指す国語の授業とは違う点だと捉えています。本は自分で読んでこそ血肉になります。どんなに正確に言葉を伝えても読まなければ力になりません。だからこそわかるように伝えることを意識したいと考えています。
2021年11月 · 2021/11/29
 図書館は基本的に計画に沿って動いています。計画を立て実施しその結果を精査し修正をかけるという作業が行われています。子ども読書推進で言えば、子どもが本に親しむという完成形に向けて様々な計画が立てられています。そして貸し出し冊数や不読者数などで計画実施前と実施後の比較をしてその計画の効果が確かめられます。そして成果が出なければ違う計画が立てられていきます。けれど子ども読書推進の場合、対象となる子どもたちが同一ではないことを置き去りにしているので厳密には計画の違いを比較できていないと思います。そして成果が出たか出ないかがわかってもその理由は特定しきれないことが多いと思います。子どもの発達と複雑に絡み合って原因が多岐に渡ることが多いからです。子どもが獲得する能力は多種多様でその能力の組み合わせや力の度合いは一人一人違うことが人として育っていく特徴でもあるところに子どもの成長に関連する計画の難しさがあると思います。  教育や行政サービスの質を保障しようとしたら決められた形を守ることが重要視されます。そのため計画を立て結果に基づいて修正をかけていくというやり方で管理していくことは理に叶っています。けれど注意しなければならないのは、これは学校や行政という組織を管理するための方法だということです。子どもたちに直接関わるものは計画に振り回されずにそのエッセンスを汲み取って目の前の子どもたちに注目することが求められているのではないかと思います。これは計画を無視することではなく、子どもたちに計画の意図を正確に渡す行為だと思うのです。子どもに関連する計画を活かすことができるかどうかは子どもたちに直接関わっているおとなのあり方にかかっていると思います。

2021年11月 · 2021/11/28
 読書を勧める際におとなと子どもでは勧め方が違うと考えています。子ども読書推進を考えたら、本を読むこと自体が楽にできることがまず大前提だと思うからです。おとなの場合は読むこと自体には問題がないので内容に興味を持ってもらうことが読書意欲につながります。ですから新聞や雑誌の書評欄、テレビ番組、書店のポップ、ネットでの口コミ、文学賞などの受賞作など、話題性も読書推進になります。けれど子どもの場合、特に読み始めの子どもたちは内容をおもしろいと思っても読むこと自体が追いつかないと読書が楽しめません。そのため読む力をつけることと並行して読書に誘う必要があります。けれど読書ですから内容も重要で本人がおもしろいと思えなければ読もうという気にならないのと、読めなかったという挫折が本から遠ざかる原因になることもあるため、自分で選ばせるということになりがちなのだと思います。  けれどこの読み始めの時期に適切なサポートをすることこそ子ども読書推進には重要なことだと捉えています。その時注目しているのは物語としておもしろいと思えるかです。子どもは興味を引く場面があったり挿絵が気になったりするだけではそこだけ見ておしまいになってしまいがちです。そして読書は最初から最後まで読み通すことでおもしろさを受け取ることができる行為だと私は思います。ですから読み通すことに慣れていき活字を追うことが楽しいと感じて欲しいと考えています。読み通すことで物語を物語として丸ごと受け取ることができ、それが読書の楽しさを知ることにつながると思うからです。そのためにサポートする側が、丸ごと受け取って楽しい作品と子どもたちをつなげてあげることが重要です。物語として楽しいかは読んでみないと分からないのでおとなが手を貸す必要があると思います。そして、見た感じはそう惹かれなかったけれど読んでみたらおもしろかったという経験が子どもたちが本を選ぶための土台になっていきます。この手間を省いているために読み応えのある本に親しむ子どもが減っているのではないかと推測しています。  そして読み通すためにはある程度の負荷がかかります。初めはどうしても自分の意志の力を使ってある程度頑張って読むことが必要になると思います。ただこの負荷がかかり過ぎると途中で諦めてしまうことになりますし、負荷がかからないことを考えすぎると物語として読んでもおもしろくなかったということになります。このさじ加減がサポートする側の腕の見せ所です。そしていけないことに読むことが負担にならずに楽に読めて読んでおもしろかったという体験をさせてくれるかいけつゾロリを筆頭としたプレコミックと言われる漫画に連なる作品が読み始めの子どもたち向けにたくさん出版されています。そのため子ども読書推進を考えるならこのプレコミックとの折り合いをつけなければなりません。先生方の中にも漫画でも読まないよりはマシと考えられる方もいらっしゃいますし、漫画は漫画の楽しさがあり私自身も漫画も好きです。けれど読み始めの子どもたちがプレコミックだけを読み続けると読む力が育たないのも事実です。読み通すことで物語を物語として受け取って楽しかったという経験をいかに混ぜこんでいけるかが大事だと考えています。
2021年11月 · 2021/11/27
 子どもたちと本という一点だけで付き合っていると、子どもたちの言動や興味の対象そして読書傾向などの変化に目を奪われがちです。同じ年齢の子どもたちが以前どうだったかという比較が容易な上、その違いがまず違和感として感じられるからです。そしてどう変わってきたのかを聞かれることも多いです。けれどよく考えてみると変わっていない部分の方が多いと思います。時代の移り変わりと共に生活習慣が変わっても人が大人になっていく過程はさほど変化しないと思います。人の子は相変わらず首も座らない状態で生まれますし、生まれた時の体重も身長も個人差はあるにせよ平均値が大きく変わった訳ではありません。その後の成長も環境が変わったからといって以前より早く言葉を習得する訳でもなく第一次成長 第二次成長の時期が変わった訳でもありません。以前にはなかった機器が日常的に使われるようになったりするので子どもが使っていることが目新しく驚きを持って語られたりしますが、多分どの時代でも同じことが繰り返されている気がします。そして新しい機器が使えるようになった分、上の世代ができることができなくなっていたりするので人間として特に進化したとは言えないような気がしています。  ですから変化に注目するのではなく、変わらないものに注目することが大事だと考えています。多分人が成長していくのに必要なことやものは大きく変わっていないと思うからです。それは昔に帰れということではなく、必要なもののエッセンスをちゃんと捉えることだと考えています。エッセンスさえ抽出できれば、時代に合わせてその必要なものを子どもたちに渡せるからです。人は生まれた時代の影響を受けるものです。けれど人として生きることには変わりません。時代の影響を受けるからといって必要なものが変わる訳ではないと考えています。そしておとなは自分ができることは生活しているだけで身についたような錯覚に陥りがちです。ですから自分ができていることは子どもが既にできていることとして、自分ができない新しいことを教えようとする傾向があります。小学校での英語教育然り、プログラミング然りです。現在の生活は国を超えた社会で支えられているので共通言語として英語は必要でしょうし、機器の進化や生活への浸透度合いを考えればプログラミングの知識も大切だと思います。けれどそれは言葉や想像力そして思考力といった人が培ってきた基本的な能力なしに身につくものではありません。  読書は今も昔もこういった人としての基本的な能力を培うことに力を発揮してきました。読書を情報収集の手法の一つと捉えるので古びたと思われがちですが、読書は人が生活していく上で基本的な力を育んでいることを忘れないようにしたいと考えています。

2021年11月 · 2021/11/26
 最近、小学生にストーリーテリング...
2021年11月 · 2021/11/25
 本の紹介をしていると、いわゆる読解力と言われるものと物語を読み進める力というのは重なる部分があるとしても同じではないと感じています。文章が表している内容を正確に読み取り理解していくことは物語を読み進める上で必要なことではありますが意味が正確に取れない曖昧な理解でも前後の関係からある程度推察して読み進めることができるからです。...

2021年11月 · 2021/11/24
 本を選ぶということは、とても感覚的なものです。また選んだ理由なども理由が先にあったのか後から理由をつけたのか、実のところ曖昧なのではないかと感じています。これは年齢や経験に関係なくおとなも子どもも一緒だと思います。この理屈ではない部分というのは、本が画一的なものではなく様々な時代に生きていた様々な立場の様々な考え方を様々な手法で書き記したものであり、読み手も唯一無二のひとりだということが影響していると考えています。  こう考えていくとそもそも選書することを諦めた方がいいのかもしれないと思う方がいらっしゃるかもしれません。それでも選書は図書館を図書館たらしめていると考えています。選ぶことはその図書館がどうありたいか、ひいてはその図書館の利用者となる人たちがどう図書館と付き合っていくのかという答えになるからです。司書は学校教育で明確な答えがあることに慣れたまま、ある意味正解がない選書をすることと向き合っています。選書基準といった選書する理由だけでは本は選びきれないこともまた事実だと感じています。  けれど言葉で表そうとするとこぼれ落ちてしまうような感覚的なものでも、研ぎ澄ませていくと本物を見分けることができるようになると感じています。私は子どもの本に関して時代が評価を通すことが本物を見分ける基準だと考えてきました。そして自分が子ども時代に読んだ本で今も子どもたちが楽しむ本は時代が評価を通した本だという幸運な巡り合わせになる形で子どもの本と向き合ってきました。また新しく出版される子どもの本も読み続けてきたため時代が評価を通していく現場を見ることができました。それは出版された時はとても楽しかったのに古びて楽しさを失っていく本がある一方時間が経っても楽しいまま変わらない本として息づいていくことものがあることを肌で感じていくことでした。時代に評価されていく過程に立ち会う前は、自分が子ども時代に読んだ本は自分の中でおもしろかったという思いが強く今の子どもたちに自分の思いの押しつけになっているのではないかと心配になったこともあります。けれど古びないものは確かにありました。  ですから選書をすることに打ちのめされないで子どもの本を読み続けることはとても重要だと感じています。多分この本は時代を超えるであろうということはどのみち明文化できるものではありません。そしてその判断が必ず当たるとは限らないものです。それでもその視点を持っていることが見分ける目を育てると自分を振り返って思います。加えてその時代の空気をたっぷりまとって今だから楽しい本というものを否定している訳ではありません。今が旬の本という形できちんと選べていることが大事だと思います。
2021年11月 · 2021/11/23
 新しい取り組みを始める労力は大変なもので、それはそれで爆発的な力が必要だと思います。そして新しい取り組みを始めたほうが仕事をしている感覚を強く得られると思います。それは何もないところに新しいものを作るのですから成果が本人にも他の人にも見えやすいからだと思います。そのため新しいことを始めた方が評価されやすいことも達成感につながります。それに引き換え継続することに対しての評価は高くありません。同じことを同じように繰り返しているということを、与えられたことしかせず仕事を増やさないようにしている受け身の仕事ぶりだと勘違いする人が圧倒的に多いからです。ただ何十年と続けば継続は力なりだという人が出てきます。けれどその継続は力なりに行き着くには同じことを同じように繰り返すことから始めるしかないことはあまり議論されません。  子どもの読書を考えるときに、この継続が何より大事だと考えています。子どもが読書を楽しむようになるために特効薬など存在しないからです。そのために図書館は子どもたちが自分で読むようになるために本を選び品揃えに心を配り子どもの要求を聞き本を探す手伝いをします。読み聞かせやブックトークなども子どもが自分で本を選べるようになるためのサポートなので、継続してサポートすることが重要でそこだけ取り出して特効薬扱いするのは意味がないと考えています。すべては子どもが読書することへ繋がっているのが図書館の仕事だと考えています。  特に学校図書館は子どもが読めるようになる過程に寄り添います。学校司書は読み聞かせやブックトークが子どもたちの読書にゆるやかに影響していくことを実感できる立場です。どういう読み聞かせが子どもたちが自分で読むことにつながるのかを感じていくことが大事です。ここで大事なのは年単位のゆるやかな変化を目指すことです。劇的な変化を求めると子ども自身の力で成長していくことができないと感じていますし、読書は自発的な行為なので自分の力で動くことを待つのが重要です。学校図書館の仕事は子どもの成長と深く関わっているので成果が目に見えにくく評価されにくい仕事ですが、焦らずに子どもの成長を見守っていくことが重要です。学校司書は子どもたちが読書することを当たり前のこととして身につけていくサポートをしていることに自信を持って欲しいと感じています。

2021年11月 · 2021/11/22
 文科省は平成27年12月に取りまとめられた中央教育審議会答申「新しい時代の教育と地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について」を踏まえ、学校運営協議会の設置の努力義務化やその役割の充実などを内容とする、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の改正が行われ、平成29年4月1日より施行されました。それに基づきコミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の導入が全国で始まりました。この学校運営協議会制度の主な役割は「校長が作成する学校運営の基本方針を承認する」「学校運営に関する意見を教育委員会又は校長に述べることができる」「教職員の任用に関して、教育委員会規則に定める事項について、教育委員会に意見を述べることができる」というものでその役割は重いものです。そのため長野県は「学校運営参画」「協働活動」「学校評価機能」を一体的・持続的に実施する仕組みを「信州型コミュニティスクール」として構築し、学校と地域住民の協働により、子どもたちの豊かな成長を支えるため、「地域と共にある学校」づくりという形で展開しています。この信州型コミュニティースクールもしくはコミュニテイースクールは国の方針もあり現在長野県下すべての小中学校で導入されています。  この信州型コミュニティースクールの導入の過程で読み聞かせのボランティアの需要が増え、新しく読み聞かせを始める人が増えました。それ以前も各学校で保護者を中心に読み聞かせのボランティアは存在したのですが、より多くの人にボランティアをして欲しいという信州型コミュニティースクールの方針もあり積極的なボランティアの募集が行われました。たくさんの人が学校に関わることは大切だと思いますが、読み聞かせに関しては学校ボランティア活動の一つとして捉えられたことが現場の混乱を招いたと感じています。学校ボランティアをしたいけれど何をしていいかわからない、絵本なら自分の子どもに読んだことがあるから読み聞かせをしようという形で読み聞かせボランティアが増えたことは子どもたちの読書環境を整えるという点では歓迎すべきことにはならなかったと感じています。集団に対する読み聞かせは絵本の読み聞かせの中でも特殊なものです。本来なら手元で見るはずの絵本を遠くから眺めるという形で集団で共有するのです。自分の子どもに読み聞かせをしたから集団にも読めるかというとまた別物です。そもそも学校ボランティアで行うなら集団でなくてもいいどころか個々への対応も可能です。学校での読み聞かせを集団への読み聞かせだと決めつけたことも、せっかく学校に関わろうとしたボランティアにとって活動がスムーズにいかない原因となったのではないかと想像しています。子どもの読書推進を考えるなら、目的を意識した読み聞かせが導入されていくことが重要だと感じています。同じ読み聞かせでもどこの段階でどの部分に対応するのかを整理し活動していく段階に入ってきたのだと思います。そこでひとり読みにつながる読み聞かせという視点を学校図書館では持って欲しいと考えています。
2021年11月 · 2021/11/21
 読書推進を考える時どうしても読書をしてどうなったのかという結果が見たいという方向に行くことがあります。特に今の行政の仕組みでは計画をたて、その結果を評価分析し、次の計画に反映させることが必須だということも影響していると思います。貸し出し冊数や来館者数といった数で判断されることが多いのもそのためだと思います。また学校だと身についたことに注目しそれが読書の結果だと解釈されることもあります。仕事である以上現場にいるからこそ感じるものがありますがそういった感覚的なものだけを裏付けにしてその先の計画の方向性を決められないことは分かっています。けれど目に見える結果を求めすぎるとよく言われる読解力や語彙力だけでなく想像力や思考力といった本を読むことによって身につけて欲しいと期待されている力を育めない危険があるのも読書だと考えています。  子どもたちはおとなの思惑に敏感です。そして年齢が低いほどその思惑に応えようとします。例えば読書冊数で子どもたちの読書意欲を高めようとすると読書冊数に注目するようになります。そしていかに冊数を伸ばそうかと子どもなりに苦心し一日に何回も図書館に足を運び借り直したりします。これは子どもの問題ではなく冊数に注目させたおとなの問題だと思います。おとなのように複数の目的を組み合わせることは子どもにとってハードルが高いからです。そして複数の目的に優先順位をつけて自分の目指す方向を定めていくといったさじ加減ができるようになることがおとなになるということだと思います。ですから子どもたちがこちらの思惑とは違う思わぬ方向に走ったとしても不思議はないのです。むしろこうきたかと子どもたちを理解するチャンスだと思います。  私が子どもが読書することに立ち会ってきて思うのは、どんな相手とも本はおもしろいという点で共感しあえるということです。年齢や読む力が違うことは問題にならず、子ども同士でも、子どもとおとなでも共感する相手を選ぶことはないと感じています。そして読んでおもしろかったという体験の積み重ねの上にしか読書推進は成り立たないのです。本から何を吸収するかは自在に読めるようになったその後の方が比重が高くなります。そして読めないなら本の内容だけ取りまとめて伝えればいいと考えるのは本の力を著しく削ぐ行為だと思います。本は読み手の内面に合わせてちょうどいいタイミングでちょうどいいだけのものを渡してくれるように作られています。ですから自分が読み取ったものを伝えるのは親子間もしくは、お互いがそれをしたいと思った時にだけ成り立つ行為だと考えています。そのため本の内容を伝えると言うより相手の考え方を知る行為だといえるので対等な関係でなければ成立しないと思います。  子ども読書推進の目指すところは結局読書のおもしろさを知ることなのだと思います。小学生なら食わず嫌いならぬ読まず嫌いを克服することなのだと考えています。そして推進しようとする側は読書のおもしろさを知っている必要があります。そのために自分の生活の中にも読書の時間を確保することが第一歩かもしれません。

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