2021年5月

2021年5月 · 2021/05/31
 私は子ども時代、親たちからテレビを長時間見ると目が悪くなるので、長時間見てはいけないと言われて育ちました。そのためか学校でタブレットで学習をしたり、モニターを使った授業が日常的に行われることに戸惑い、心配になったりします。もちろんタブレットやモニターを使う必要性に迫られての変化だとわかっています。けれどゲームの長時間使用が子どもの発達に影響を及ぼすという研究結果が出ています。問題にされているのはゲームの内容で機器を使用することだけに原因があるわけではないのかもしれません。そして学習使用でどのような影響が出るかを検討するほどデータがないのも事実です。タブレット使用の影響が子どもたちにどんな影響があるのかはっきりしていない中で新しい学びに取り組んでいることを意識する必要があります。  教育現場で新しい取り組みを始める時、すべてのおとなが協力して組織的に動くことが変化の原動力になります。しかし新しい学びは一気呵成に仕上げるものではなく慎重な姿勢も同時に必要です。慎重な姿勢は新しい取り組みを阻害したり反対や中止を唱えるものではなく、何が子どもにとっての最善の環境になるのかを見極めるために大切です。そうして導き出された答えが取り組みの成果になるのだと思います。そして関わる立場によって優先したいものが違うはずです。教育現場として何を優先し何を後に回すのかを関わるおとな全員で検討し情報共有する必要があると考えています。
2021年5月 · 2021/05/30
 学校でタブレットが1人一台使えるようになると、電子書籍の導入についての検討が行われると思います。タブレットの活用方法が限定的に行われているうちは、さほど議論にならないかもしれませんが、タブレットを常に持ち歩く状況になると必ず問題になると感じています。教科書も紙版と電子版の併用というところまできているので、紙版と電子版の扱いの検討は一般書籍にも及ぶと思います。どちらにも生産流通に関わる業界があるので、どちらかを選ぶという極端な選択は起こらないとは思いますが、状況に合わせて読書をしていくための環境を整えていく必要があります。  電子版を評価する人たちがよく使う言葉に電子版の利便性があります。タブレットさえ持っていれば、いつでもどこでも好きな本が読めるというものです。ネット環境や電子書籍へのアクセスの保証などの物理的環境がクリアされたとしても、この「いつでもどこでも」というフレーズは子どもの読書に関しては疑問が残ります。読書をする習慣がある子は電子版でなくとも読むことを生活に取り入れているからです。「いつでもどこでも」は一見読書を推進するようで推進する言葉ではないと思います。読みたい本が読みたい時にあったら読書するというのは、読まない人の言い訳ではないかと感じています。実際読書好きなら思い当たる節があると思いますが、やらなければならないことがある時ほど読んでしまうことがあります。ましてぽっかり時間が空いたから読書しようと思う人は、すでに読書家で今の環境でも読みたい本が確保できていると思います。  そして選択肢が多いというのは、読むことが習慣になっていてたくさん読みたいと思っていてこそ活きる環境です。積極的に読みたいと思っていない人にとっては選択肢の多さがかえって負担になることもあります。  「いつでもどこでも」が歓迎するのは、読書が習慣になっている人たちなのだと思います。そのため「いつでもどこでも」が子ども読書推進における電子版の優位性の理由にはならないと考えています。

2021年5月 · 2021/05/29
 自治体が赤ちゃんに絵本をプレゼントするファーストブックと言われる事業は多くの自治体が取り組んでいます。親子で絵本を楽しむことは、親子の絆を深め、言葉を育てるだけでなく子どもの成長を促し、そして読書推進にもなるという良いことづくめの企画で広く支持されたからです。そしてファーストブックが浸透すると次にセカンドブック、サードブックと年齢を上げた段階の子どもたちにも絵本をプレゼントする自治体がで出てきました。上田市も県下の他市町村と歩みを揃えていく形でファーストブックとセカンドブックが行われています。  けれどセカンドブックが始まってみると、ファーストブックが何を担っているのかが際立ち、セカンドブックにファーストブックと同じ役割を持たせるのは難しいと感じています。  ファーストブックの肝の部分は絵本をプレゼントする時期にあるのだと思います。大事なのは赤ちゃんと一緒の生活を始めたばかりの親御さんにプレゼントすることです。その時期のパパやママは赤ちゃんならではの意思表示を理解することに追われ何もかも手探り状態です。そんな中で赤ちゃんと暮らさなければ出会わない道具を取り入れてその使い方を覚え使い心地を覚えていきます。例えば抱っこ紐やスタイなどは赤ちゃんと暮らさなければその必要性などわからないものです。そしてそのタイミングで絵本が赤ちゃんと楽しむものとしてプレゼントされるからこそファーストブックが活きるのだと思います。プレゼントすること自体が赤ちゃんの生活に欠かせないものという強いメッセージになるからです。そして絵本を楽しんできた人も楽しんでこなかった人も今度は親子で楽しむものとして新しく出会い直しているのです。ファーストブックはプレゼントすることとタイミングが噛み合って成り立つものだと考えられます。  だとすればファーストブックのようなタイミングをもう一度作るのは難しいと思います。年齢を重ねるほど親子で絵本を楽しんだ経験値に差が出てきます。例えば小学校入学とか節目はあっても、ファーストブックの時のように全員で一から始められる訳ではなく、それぞれの経験値を抜きにして出会い直すことができないからです。そしてプレゼントされて嬉しい本は年齢を重ねるほど多種多様になりプレゼントすること自体が難しくなります。やはりセカンドブック以降はファーストブックとは同列に考えない方がいいのではないかと思います。
2021年5月 · 2021/05/28
 先日小学校の先生とお話ししていて、今の子どもは「語彙が少ない」という話になりました。「語彙が少ない」ということ自体は読書の必要性が取り上げられる際によく聞く問題点です。けれど先生の分析は子どもたちが攻撃的な言葉を使う理由は語彙が少ないためではないかというもので、とても新鮮に感じました。...

2021年5月 · 2021/05/27
 昨日友人からキャットフードを譲り受けました。猫を飼っている人なら多分聞いたことがあるブランドのもので、うちの猫に食べさせたことはないものです。早速与えてみると驚くほど夢中になって食べました。値段が値段なのでそこに目が行きがちですが、猫のことを知り尽くしたものなのだと感心しました。古いCMで違いがわかるというキャッチフレーズをつけたインスタントコーヒーがありましたが、まさしく違いがわかるんだと妙に納得しました。飼い猫は与えられるものをただおいしいかおいしくないかだけで食べていますし飼い主が餌を変えない限り比べる機会もありません。そして栄養価も素材も価格も食べるか食べないかを判断する助けにしていません。それでも高品質なものがちゃんとわかることに心を掴まれました。子どもと本の関係に似ていると思ったのです。  子どもは自分だけで本を手に入れることができません。そのためおとなの助けを必要とします。そして与えられた本に心惹かれたら周りのおとなに何度も繰り返して読んで欲しいと要求したり、自分でも読むのだと思います。いつ何がどう子どもの心の琴線に触れるのか、正確なところは誰も予測しきれません。そのため最終判断するのは子どもです。けれど子ども時代に手に取る本の質はおとなが保証する必要があるのだと思います。子ども自身が判断するのだからと言って品質まで子どもの判断に丸投げするのは無理があります。品質を見極めるには比較が必要で、そのためには周囲のおとなが系統立てて本を読んでおく必要があるからです。猫と同列に扱う訳ではありませんが、おとなのように説明できなくても子どもだって品質の違いはきっとわかるのだと思っています。決して子どもだと侮ることなく、品質を見極めていくことが必要だと思います。
2021年5月 · 2021/05/26
 どんなことをするにせよ新しく一から始めることは、更地に建物を建てていくようなものだと思います。建物の形や大きさも選べ発想のままに自在に形を作っていくことができる印象です。新しく生み出すことは注目されやすいですし達成感を得やすいと思います。けれど図書館のように既に形が決まっていて利用されているものは、現在の形を保持しながら修正をかける形でしか発想が活かせません。下手に手を加えると今あるものが崩壊する危険が伴うからです。そして崩壊してしまっては今いる利用者を置き去りにしてしまいます。そのため一から始めるのとは違った労力が必要ですが、変化が目に見えにくく張り合いを感じにくいものです。  ただこの達成感や張り合いという感覚が曲者だと感じています。利用者の満足度を上げるために時代の風を入れ新しいことを取り入れながら、図書館が変化していく必要はあると考えています。けれど図書館は一から作り直さなければならないようなものではないと思います。達成感に囚われすぎて目に見えることを目標にすると、今あるものを否定し一から作り直す方向に舵を切ってしまいかねません。  図書館が求められているのは、住居に住み続けながらリフォームするような変化なのだと思います。使いながら補強したり修繕したりすることは労力の割に変化が伝わりません。けれどこれを続けてきたからこそ、私たちは図書館のある生活を享受できているのだと思います。そして私たちがリフォームし続けることは次の世代が図書館のある生活を受け取ることにつながるのだと思います。

2021年5月 · 2021/05/25
 新しい学習指導要領に沿った小学生の国語の教科書が衝撃的だったので、中学生の国語の教科書も読んでみました。そして変化ではなく以前の国語という教科とは別物だと感じました。...
2021年5月 · 2021/05/24
 今年度の「本はともだち事業」の実施校が決まり、事業が動き出しました。「本はともだち事業」は内容に変更もなく基本小学校2年生が対象で例年通りなのですが、打ち合わせをしていて今年は例年と違うかもしれないことに気がつきました。...

2021年5月 · 2021/05/23
 新しい市役所を見て、開架式の図書館が思い浮かびました。開架は図書館用語で利用者が手に取れる形で配架してあることを指します。反対に閉架は書庫に保存し利用者の求めに応じて取り出す形のことを指します。職員の方が見えるところに勢揃いしている感じが開架の図書館のイメージにつながったのです。来庁する市民の用事の内容によって担当職員は変わるのだと思いますが、利用頻度の高い内容の担当者だけでなく、すべての職員が待機している様はまるで全開架の図書館だと感じました。  開架率が高く閉架書庫などない方が図書館サービスの向上につながるのか、閉架書庫と併用した方がサービスの向上につながるのかは一概には言えません。蔵書数や立地条件など様々な要因が絡む問題だからです。けれどジャンルは違いますが市民サービスの向上を目指す市役所の作りが全開架の方向に進んでいることは興味深く、図書館だけ見ていては見えないことが見える気がします。  市役所での全開架状態の、1番のメリットはスピードだと感じました。要求に的確に適材な人が最短時間で対応できるシステムだろうと思います。そのために来庁者は自分でどの部署に行く必要があるのかを判断する必要があります。職員を介することを最小限に抑えて効率化を図っていると感じました。手間を省くことでスピードを上げようという工夫なのかなと思います。  そして図書館でも全開架のメリットとしてスピードは挙げられます。すべて直接自分で手に取れるので職員に頼んで持ってきてもらう手間が省けますし、中を確認してから手に取ることができます。また図書館の場合、目的が決まっている人ばかりが利用する場ではないので書架を眺めながら選べることが支持されます。  スピード重視だと、どうしても人が介することが減ります。しかし手続きにしろ本を選ぶことにしろ、人に関わってもらった方が納得できることや満足感が得られる場合があります。反面、人との関わり方が希薄になってきていて、個人個人で人との距離感が違います。そのため知らない人に関わることが難しくなってきています。そして市役所や図書館は不特定多数の知らない人が来るところなので、できるだけ人と接しない形がトラブルに巻き込まれない方法という消極的な選択になるのも止むを得ない状況ではあります。それでも人と関わることを減らす方向で考えて欲しくないと思います。人が関わることが贅沢な選択になってきているようで違和感を感じています。
2021年5月 · 2021/05/22
 昨日市役所に行く用事があって久しぶりに上田市役所に行きました。用事がある部署は新築された市役所に引っ越していたので初めて新しい市役所に入りました。まだ床に防音ボードが敷いてあったりしましたが、広々として、一面ガラス張りの美しい作りでした。入り口から奥に向かって一直線に各部署の受付カウンターが一本の道のようにつながっていてその前に幅の広い通路兼受付待ちのスペースが取られています。そしてカウンターの向こうはワンフロアになっていて職員の人たちが全て見渡せる作りです。そして銀行のように受付の機械があり、来庁者が自分の用事の内容に合わせて機械を選びタッチパネルの表示を選んで押すことで受付番号が発行される方式でした。そして受付番号が表示されるまで待つ形になるのですが本当にこの選択で良かったのか不安になりました。幸いなことに問題なく用事を済ますことができましたが、確認できないまま待つのはストレスでした。何しろカウンターの向こうには100人以上の職員が黙々と働いているのが見えています。見えているのに声がかけられないシステムは言葉が通じないところで迷子になった気分で疲れました。このシステムに慣れていけばこういった不安がなくなるのかもしれないとは思います。けれど以前の市役所の様に迷路のような作りでも、そこに行きつけば間違いなく用事を済ますことができ、カウンターの前にたてば自動的に職員の人が気がついて声をかけてくれる形式は実は市民にとっては悪い作りではなかったのではないかと思ってしまいました。

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