子どもたちが読みたい本を見つけられないときに、考えられるのは、本の厚さや活字の大きさに気を取られて、内容に注意が行きにくくなっているか、読めたという体験が少ないと前回、書きました。
実はこれらのパターンの根っこは一つだと思います。
それは、読むことが苦手だと、自分で思い込んでいる、もしくは思ってしまうような体験しかしてこなかった、ということです。
今、就学前でも活字が読める子が増えている印象ですが、活字が読めることと物語が読める、内容が理解できることは同義ではありません。
ですから、小学生になったら、もしくは活字を覚えたら、読んでやらずに、自分で読ませたほうが、読めるようになるというのは、半分正解で半分不正解だと思います。
確かに活字を追えるようなるには、数をこなす読むトレーニングが必要です。
けれど、それが苦痛だけを伴う形で行われると子どもは読むことに対する苦手意識を持つようになります。
それでは集団での読み聞かせをしたら、活字が追えるようになるかというと、それも違うと思います。
もし絵本の読み聞かせだけで、活字を追えるようにしようとしたら、『クシュラの奇跡』が示しているように、膨大な数の絵本を毎日、何年間も、浴びるように聞かせる必要があります。到底集団の読み聞かせでできることではありません。
ではどうすればいいのかといえば、子どもたちが読めたという達成感を積みかねて行けるよう、サポートしていくということです。そして読めるという自信が持てるようになれば、子ども自身が読む事を楽しむようになります。
大事なのは、おもしろい本を読んであげれば、本を読む事をおもしろがるのではないという点です。自分で読んでおもしろいと思えたから、読むことを楽しめるのです。
今、現場で起こっている混線は、この点を整理せずに、議論しているために起こっていると感じています。