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読めるという自信

 前回、読めるという自信をつければいいと簡単に書きましたが、これが意外と難題です。

 それは、私たちが子どもたちに達成感を味わせよう、自信をつけさせようと意識しすぎると、逆効果になるからです。

 よくありがちなのは、こんな厚い本が読めて偉かったとか こんな字がいっぱいの本が読めて偉かったとか、本の内容でない部分で褒めてしまうことです。

 これをすると、子どもが字の大きさや分量、本の厚さに注目してしまい、長い目で見ると中身で選べなくなる一因になります。

 字の大きさや本の厚さに関しては、なかなか本が選べない子が選びやすいように、選ぶ目安として、助けるつもりで声がけに使われることも、ままあります。

 これも中身をみない形に誘導して行ってしまうので、読むことに苦手意識を持つ下地になったりするので注意が必要です。

 子どもの本のプロであろうとしている私たちは、本の厚さや活字の大きさはNGワードだと心に留める必要があります。

 そして、子どもたちは、例え憎まれ口をきいていたとしても、意外と私たちの言葉から影響を受けている事を意識することが大事です。

 こちらの提案やこちらの意図を汲んでくれないからと言って、おとなのように、影響をコントロールできるわけではないのです。

 対人関係は、鏡のようだと言われます。おとなである私たちが、子どもたちの読める可能性を信じなければ、子どもたちに読めるという自信が育つわけもありません。

 自信というのは、あるとき振り返ってみたら、いつの間にかついているもので、自信として蓄積されるわけではないと感じています。苦労しつつでも、読み続けることで、自信になって行くのだと思います。

 子どもたちが本を読むことを見守り、本の内容について感想を言い合ったり言葉を交わして行くことで、子どもに寄り添って行くのと行かないのでは、子どもたちの読書環境として大きな違いになります。

 これが図書館に人が、特に子どもの本のプロが必要だと考える理由でもあります。

 そして本の内容で交流できると、子どもたちから本のプロとして認められて行くようになります。

 ただ苦労して読んでいるのを目の当たりにすると、うっかり読んでいる事を褒めてしまいそうになりますが、そこはぐっと我慢が正解だと思います。読むことは特別なことではなく、楽しいから読むという姿勢を保つことが、応援になるからです。