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司書って

 図書館に関わっていると司書の専門性と言う言葉がしばしば使われます。けれど、この専門性が何かというと、共通認識として、社会に浸透しているとは言えないと感じています。

 そもそも、図書館職員の採用に司書資格が問われないのが問題だという意見もあります。けれど採用を変えたからといって、思うような効果が現れないのではないかと思っています。司書の専門性に関する認識の違い、引いては司書資格のあり方に問題があると感じているからです。

 司書という資格は、戦後アメリカをモデルにして導入され、概念としてはアメリカをモデルにしているにもかかわらず、その養成課程は大きく違います。

 アメリカではアメリカ図書館協会の図書館学教育認定基準により、司書の養成は大学院で行われ、図書館情報学部での修士号が必要な資格です。

 日本では短期大学や大学で専攻や学科ではなく、いわゆる司書課程での24単位履修という課程での養成が主流となっています。

 残念ながら、アメリカとは採用以前に、スタート時点で技能も知識も大きく差が開いているのです。

 けれど、この脆弱な資格にもかかわらず、強い使命感と志を持って、現場で日々研鑽してきた司書や現場で働きながら資格を取得してきた人たち、資格がなくとも図書館の理念に共感して働いてきた人たちによって、今まで日本の図書館は支えられ、守られてきたのだと思います。

 子どもたちに直接本を手渡す現場にいると、図書館に専門性は必要だと思います。けれどその専門性を司書資格という狭義の意味で捉えるとますます混線するばかりだと感じています。

 そして資格に見合ったったこと、賃金に見合ったことだけしていればいいのかといえば、それも違うと感じています。

 図書館が図書館らしくあるためには、私たちは、専門性を自分たちで構築しなければならないという、とても厳しい選択を迫られているような気がします。