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こんな感じなのかも

 私は、子ども時代から、書くことが苦手でした。とにかく書きたくないと思っていました。その当時は嫌な理由も言葉にできませんでしたが、心の中を覗かれる気がして、考えていることを人に伝えることが怖かったのと、ぴったりの言葉にならなかったと言うか、書くと思っている事と違ってしまう違和感があったからだと思います。

 こうして言葉にしてみると、自意識過剰で恥ずかしいのですが、その感覚は、自然に生まれたものではなく、人との関わりで生まれてきた感じがします。

 まわりのおとなたちの何気ない一言が苦手意識の種となり、他の子どもと比べられることで、より大きくなっていった感じがします。

 でも比較されること、評価されることは、必要なことだと、今は思っています。

 それは、好きの反対は、嫌いではなくて無関心と言われるように、苦手だと思うことは、できるようになりたいと言う芽なのかもしれないと思うからです。

 苦手だと思ってきたから、今頃になって書いてみようと思え、書いてみたら、書きたいことがあって自分でも驚いている今があるのかもしれません。

 「本はともだち」をやっていると、自分でも読めた、本が読めて嬉しいという感想をもらうことがあります。この気持ちの出発点は読むのが苦手という意識なのではないかと思います。

 そして苦手から生まれるものもあるのだと自分を振り返って思います。

 本が読めるという喜びの言葉は、書けると驚いている今の私の気持ちと同じかもしれないと思います。

 こんな感じを持ってくれているとしたら、嬉しいと思います。