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言葉じゃなくて

 図書館は、本を読む、借りるといった体験を自分の中に貯めて行って、自分で答えを見つける場所だと思います。自分と向き合う時間があって、ひとりの学びを保証していくれる所とも言えます。

 教育の歴史を紐解くと、子どもたちの主体的な学びを追求する実践の中で、図書館を重視し中心に据えた学校が生まれてきました。日本でも大正期にその考えが導入され研究されましたが、戦争など時代に阻まれて定着には至りませんでた。 

 けれど廃れることなく、子どもが主体的に学ぶ教育という考え方は支持され、自由研究、総合的学習の時間などと言葉を変えて学校教育の中で取り上げられています。

 反面、学校図書館は、旧泰然とした価値観から動くことができていない印象です。

 子どもが主体的に学ぶという考え方と切り離せない施設だという認識を持ってもらえないもどかしさがあります。

 様々な要素が絡み合っていて、抜本的な改革は、私たちの手に負えるものではないことは、わかっています。

 それでも、現場を預かるものとして、学校図書館が何ができるのかは、意識している必要があります。

 それは、教職員の求めに応じて総合的学習に活用する資料を集めると言った、対処療法的なことでばかりでなく、子どもたちが自分の考えに沿って自発的に動けるための体験を提供することだと考えています。

 学校教育は基本集団で動くことを前提に考えられています。そのため、ひとりひとりに寄り添うのではなく集団に対して言葉で指示を出すことで、効率よく全体を動かす仕組みです。 

 その中で図書館は、個人で動くことを前提にした場所です。そのことを、言葉ではなく、本を読み、借りるという中で実感して掴み取って欲しいと思うのです。

 この点を押さえた上で、もう一度、自主的がどういうことか取り上げたいと思います。