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自主的って

 前回、子どもたちに図書館は自主的に使う場だと本を借りることで体感して欲しいと書きました。

 そんなことは、もうずっとやっているという声が聞こえそうです。だから子どもたちが目を輝かせて本を借りて行けるよう、子どもたちの要望が大事だと考えているのだとも言われそうです。

 実は、この自主的の解釈が曲者で、同じ方向を向いているはずなのに、噛み合わなくしているのではないかと感じています。

 同時に、学校図書館が、なぜ図書館法とは別に、学校図書館法に則って運営されるかということとも深く関係していると思います。

 学校図書館が、学校教育に寄与する場だというのは、子どもたちが成長過程にあるからです。ですから、最初から自主的に使えるのではなく、自主的に使えるように成長を助け見守る場だということだと考えます。

 自主的に使うには、自在に読むことが出来ることが前提です。

 この本は、自分が読めるだろうかと考えながらでは、本が面白うそうと思えなくても無理ないことだと思いますし、選べないことを責められることでもないと思います。

 図書館の時間に本が選べず、ぐるぐる歩き回っている子どもの話を聞くと、自主的を育てることが自分で本を選ぶことだと思われているのではと感じることがあります。

 読書の楽しみを知っている人ほど、選ぶことも楽しさの一部だと感じているので、選ぶことが負担になるかもしれないという視点が生まれにくいのかもしれません。

 自主的に活用するには、段階があること、そして、成長に合わせて対応しなければならないことを、意識したいと思っています。