偶然、中学の公民で教科書として検定に通ったものをベースに加筆したという本を手に取りました。
今の教科書は、図や写真が多様され、視覚的に訴えるものになっていると聞いていましたが、本当にこれが教科書かと思う程、カラフルで文章が少ないものでした。
公民という教科のせいか、細かく章立てされていて、まるでカタログのような感じで、扱っている内容の重さと釣り合わない印象で、違和感を感じるほどでした。
例えば、愛国心を説明するページでは、羽生結弦選手がオリンピックで優勝した際、国旗を背負って滑っている写真が大きく取り上げられていました。
愛国心という個々の思想信条が絡み、比較が難しく、デリケートな感覚をオリンピックの優勝という、反対意見が出ないような圧倒的なシーンで説明され、どう受け取ったらいいのか、正直戸惑いました。
わかりやすい、全員が理解できるということに、反対する人はいないと思います。
けれど教科書は、学年が上がれば上がるほど、複雑な概念を理解していくためのものになっていきます。
ぱっとわからないことから出発することが増え、時間をかけて考えること、正解がないかもしれないことを考えることも学びに含まれていきます。
複雑な概念を、視覚に訴えることで効率よく説明できると思うことや、見てわかったつもりになることは、怖いことだと思いました。
読むことを面倒に思って、視覚的なものに逃げていると、単純なものしか受け取れないことになるのかもしれないとなんとなく不安になりました。