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決めつけたくない

 中学の公民の教科書に驚いたので、視覚的に訴えることに怖さを感じたと書きました。

 じゃあ視覚的なサポートが必要な子どもたちはどうするのかという声が聞こえそうなので、補足したいと思います。

 子どもの成長は手間と時間がかかることですが、現状、私たちは、子どもの成長に付き合うことが難しくなってきています。

 社会が効率を求め、すべての人が大なり小なり時間に追われている感じがします。やることが山ほどあって、時間が足りないと感じている人が多いのではないでしょうか?

 そんな中での子育てや教育は、ややもすれば、問題行動の改善に注力してしまいます。

 指示が伝わらなければ、その子が理解しやすい言い方をするなど、様々な工夫が凝らされ、その子の特性を理解し、対応して行くという形が取られることが多いと思います。

 こう書くと、問題などないと感じられる方もいらっしゃると思いますが、難しいのは、どこまでその子の特性として捉えるかなのだと思います。

 伝わらないから、やり方を変えるということは、その子が特別なやり方をしないと分からないと決めることでもあります。

 ただ言い回しを変えることと、文字情報を減らして、視覚情報に切り替えるということとでは、転換の仕方の大きさが違います。

 今、情報があふれているので、専門家の方が、対象の子どもを注意深く観察し対応しているやり方が、子どもから切り離されてやり方だけが広まることがあります。

 子どもの場合、成長過程なのでグレーゾーンも多々あります。専門家はその辺のこともよく理解した上で子どもの変化に合わせて対応しているはずなのにです。

 せめて図書館では、今の子どもたちは視覚情報でないと分からないと思い込まずに試行錯誤したいと考えています。

 文字情報を受け取るのが苦手でも、時間がかかっても、義務教育で文字情報を受け取ることができないと決めてしまうのは、子どもの成長を狭めてしまうかもしれないと思うからです。