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手をかける

 子どもが育つには、どうしても手をかける必要があるということは、改めていうまでもないことで、なんで今更という印象だと思います。

 けれど、現代社会は、時間の余裕がない形で成り立っていて、わかっていても手がかけられない環境になってきているのも事実だと思います。

 子どもたちに20年以上、本の紹介をしてきましたが、うまく伝わらないというもどかしさは、年々強まっています。

 今までは、こちらの言い方を変えるとか、子どもにわかりやすく説明するとか、聞くための環境づくりとか、聞くことが苦手なら聞くトレーニングをするとかで、なんとか伝えてきました。

 けれど最近、根本的に言葉が通じていないのではないかと思ってしまうような事例が出てきています。

 言葉が通じないというと、言葉が出ない子どもを想像されるかもしれませんが、言語表出に問題があるタイプではなく、饒舌と言っていいほど、言葉が出るタイプの中に、言葉が通じないと感じさせられる子どもがいます。

 言語発達の専門家ではないので、あくまで私感ですが、言語理解が遅れているというのとも印象が違う気がしています。

 会話の中の相手の言葉を拾って、やりとりするので、一見会話が成り立っているようで、文脈を考えないので、こちらの意図を拾わない感じなのです。

 そして繰り出される言葉は、豊富で、語彙が豊かだという印象を持ちます。

 もしかしたら、この状態も専門家から見ると、診断がついたり何か療育が必要な状況なのかもしれませんが、個人的な印象としては、人と言葉でやりとりする体験が足りないのではないかという感じを持っています。

 子どもは聞いた言葉をためていって、このタイミングという場があったら使ってみるという形で言語の習得をしていくといわれています。

 そして、最初からその言葉にふさわしい場が判断できるわけではないので、使った時にまわりのおとなが修正してあげたり、肯定してあげたりして、使える言葉になっていくことは、おとなは体験的に知っていることだったと思います。

 ためた言葉を使った時の受け皿がないために、この話の通じなさが生まれているのではないかと、感じているのです。

 もしそうだとしても、誰が受け皿になるのかと考えると、簡単には解決できるとは思えません、

 けれど、手をかけることを、私たちが少しづつでもやってみる価値はあると思います。