· 

普通を疑う

 普段、何となく普通とか常識という言葉が口をつく事があります。けれど普通のことだと思っている事が、普通であり続けるかといえば、時代によって変化していくこともありますし、自分にとって普通のことが自分以外の人にとって普通とは限らないことも、意外と多いのではないかと思っています。

 例えば、コロナ禍で日常から会食が消えて一年が過ぎようとしています。いつでも気が向いた時にできていた事が、できなくなり、普通ではなくなったという変化を体感しています。この状況は一過性のものかもしれませんし、今後会食すること自体が珍しいことになるかもしれず、どういう形が普通になるかは時間が経って見ないとわからないと感じています。

 この様に変化していくことを意識し、普通を疑うと見えてくるものがあるような気がしています。

 特に子どもたちと付き合っていると、今までの自分の経験に照らし合わせるだけでは、どう対応していいのか迷う事があります。この様な場合、今まで以上に観察する事が重要だと思います。観察するには先入観が邪魔になります。そして先入観の核になるのが普通という感覚だと感じています。起こっていることを正確に捉え問題点を洗い出すために、自分がもっている普通という感覚を疑う事が必要なのではないかと思います。