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多様性

 多様性を認め合うということは、誰もがありのままで受け入れられる状態が生まれます。すると嫌な思いをすることがなく集団で生きる私たちにとって生きやすくなると漠然と思ってきました。

 けれど人の考え方や思いは揺らいでいて、自分でも自分自身が捉えきれないようなところがあります。ありのままを認める多様性という考え方は自分でも捉えきれていないものを受け入れ合うことになります。そのため生きやすさといった万人に受け入れられる感覚と相性が悪い気がします。

 その割に多様性という言葉はニュースや行政の計画でもよく聞く言葉になっているので、もしかしたらわかったつもりで私が意味を取り違えているではないかと思い調べてみました。

 現在よく耳にする多様性は、正確には社会の多様性のことを指します。カタカナ英語でよく聞くようになったダイバーシティというのと同義です。そしてこの社会の多様性と切り離せないのが、発明による社会の大きな変化で、これもよく聞くイノベーションです。

イノベーションが発生する土壌として、社会の多様性が不可欠なので、セットで考えられているようです。この場合の社会の多様性のモデルは、1960年代のアメリカ、シリコンバレーの状況です。元々多種多様な文化、それこそ社会性がある人もない人も混ざって暮らしていた地域に、社会を変えたいという思いが生まれ、あらゆる個性が混じり合いながらアイディアを上乗せして未知の発想にたどり着いたという、想像以上の壮大な話でした。規則というより、もっとダイナミックで湧き上がる印象です。多分大事なのは「社会を変えたい」という強い思いが共有されることで、人と人とのつながりを変えたということだと思いました。個の違いなどは吹き飛ぶほどの思いがあったのだと思うと、人間の可能性を感じました。

 そして、わかったつもりで言葉を使うと、話が見えなくなると反省しました。思い込みって結構あるのだと自戒しました。