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意見の違い

 ぴったり同じ人間がいないように、ぴったり同じ意見の人もいないと思います。意見にその人の生き方や価値観が反映されるので当然のことだと誰もが納得していることだと思います。けれど人の意見を聞く時に自分に近い部分を無意識に探している気がします。わかりあいたいというのは、群れで生きる人間の本能のようなものなので、その表れかと思います。そして幸せな誤解の上で満足しあっていることもあると思います。これは特に家族や親子といった人間関係の濃い間柄で生まれやすいと思いますが、これが成り立つ関係も大事だと思います。

 けれど、幸せな誤解どころか、どう聞いてもどうにも受け入れがたい意見に出会うことがあります。意見ですから指示でも命令でもないのでそれほど拒絶感が生まれるわけがないはずですが、意見として受け取れない場合があります。

 そこで意見の違いが受け入れられない理由を整理してみました。

 理由としてあげられるのは、私たちが意見の交換をすること自体に慣れしていないからではないかということです。

 他の人に意見を求める時というのは、相談という形で解決策の教えを乞う場合が多いのではないかと思います。

 そのため意見の交換の場であるはずが、正解を決める場になってしまうことが問題なのだと思います。そして正解を求めるあまり相手の意見の齟齬を突くことが目的になってしまうことがあるのも問題だと思います。そして言われた方は攻撃されたと感じて意見以前に相手に悪印象を持ってしまい意見交換が成り立たなくなるのではないかと思います。

 加えて正解という考え方は、話し方や声の大きさといった表現の仕方に影響を与えることがあります。堂々とした態度や大きな声は意見に自信がある印象につながり、内容以上に意見の正当性を補助することがあります。

 多様性の回でお伝えしたように、意見交換は新しいものを生み出す土壌になります。意見の違いからエッセンスを汲み取って議論が深まることを目指すことができたらと思います。