· 

物語好きに悪い人はいない?

 物語好きに悪い人はいないと思っています。同好の士に対する贔屓の引き倒しではと思われそうですが、物語に浸ることを知っている人は人との関わり方が柔軟になると思うからです。

 その理由を整理してみます。

 ひとつは物語を読む際に自分を自分と違う人物に重ねてその人物の感覚を追体験していることです。これは意識的に行っているのではなく無意識に行っていることの方が多いと思います。特に子ども時代の読書はこの傾向が強いと感じています。そして本の登場人物に自分を重ねる行為が、自分とは違う考え方があることを前提に物事を考える土壌になるのではないかと考えています。

 もうひとつは同じ事柄が起こっても立場が違えば捉え方が違うことを物語の中で体験することです。小説によっては章によって主人公を変えて複数の視点で同じ場面を描写していくものもありますし、そういった作りでなくとも登場人物のやりとりから感じ取ることもあります。また複数人で同じ本を読んでも心惹かれる登場人物が違うことでその本に対して違う印象を持つこともあります。そのため自分から切り離して視点を変えることができるようになっていくのだと思います。

 読書の効用を説きたいわけではありませんが、読書をする副産物として違いを受け入れる柔軟性を育むところがあると思います。相手の気持ちがわからないのは想像力が欠けているからという言い方をされますが、想像力というより違いを受け入れる柔軟性なのではないかと感じています。そして自分から切り離して視点を変えることが自然にできれば、物事の良し悪しだけでなく、そういう考え方もあるという受け止め方ができ、頭から否定する形にならないのだと思います。大学でも文学部が減ってきています。高校の国語も文学よりも実用的な読解力に注目されてきています。けれど本当は人間が生きていきやすい環境を支える役割を物語も担ってきたのではないかと想像しています。物語好きがたくさんいるところの方が自然体でいられる気がしています。