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会って話す

 コロナ禍での生活が長くなり、何を守れば安全なのかが少しづつ整理されてきたと感じています。以前は新型ウィルスの全容が掴めていなかったこともあり、とにかく人と関わることを極力避けるといった感じでした。でも体調が悪かったら人に会わないとか飲食を共にしないなどの避けた方がいいことと、マスク装着やこまめに換気するなどの予防策を取れば可能なことと分けて考えられるようになっています。

 そこでこれからは意識的に会って話す機会を増やしたいと考えています。自粛生活に慣れ不要不急が基準になると、会って話すことは不要不急ではないと感じます。会って話すことでしか伝わらないことがあるのだと思います。

 先日緊急の用事があって久しぶりに友人に会いました。長い付き合いでこんな状況になる前は月1のペースであっていた友人です。気心も知れていますし以前と変わらないつもりで会いました。けれど話が噛み合わない、以前と違うと感じてしまいました。用事の内容がデリケートな問題を孕んだ相談事で、結論が出にくい難しい話だったせいもあると思います。けれど以前ならもう少し問題の核心に迫れた感じだと思いました。元々主義主張が一致している訳ではなく、立場も考え方も違うからこそ惹かれあって意見を交わし合う相手なのです。意見が違うのはいつものことで、それでも議論が深まっていたと思います。

 そこで今回なぜすれ違うのか考えた時、浮かんだのが会って話す機会が減ったことでした。お互い人と会って話す機会が減ったため、会って話す時の話し方、受け取り方の勘が鈍っていることが原因ではないかと思ったのです。そして思い返してみると、私は人と会って話す時というのはほぼ飲食を伴う場で会っていました。そのため飲食を共にできないことも人と会って話す機会が激減したことにつながったと思います。以前と同じにできなければやらないというのも一つの考え方ですが、同じようにできなくてもやった方がいいことがあると強く思いました。会って話をする場所から考えてみたいと思います。