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比べられない

 同じものを見ても、同じものを聞いても、どう見えているのかどう聞こえているのかは自分以外の人と比べられないことを意識させられることがあります。そしていつも何となく同じに見えたり聞こえたりしていることを前提にして人と話をしているのではないかと思います。見えているものが違うのかもしれないというところから疑っていたら気軽に話もできないでしょうし、人と関わるのが苦痛になりそうです。わかり合っていると思っている相手ほど、些細な違いがトゲのように刺さり違和感を生むことがあるのは、同じに見えていないことを忘れているからではないでしょうか。

 おもしろいことに分かり合えないと思っている相手の中に、よく話を聞いていくと自分と似たような見え方をしているのではないかと思う人がいます。受け取ったものからどう考えていくかと最初の見え方とは関連がないのかもしれません。

 見え方という言い方自体、自分が見たものについてなのか、自分がどう解釈したという考えのことなのか、どちらにも取れる表現です。そしてどう解釈するのかが違うことが共通認識になっているために、見えた物が同じではないかもしれないことが意識から抜け落ちている感じがするのです。例えば図が提示され何に見えるかと問う心理テストなどは、同じ図でも人によって見え方が違うため成り立っています。なぜこういったことが起こるのかは心理学や脳科学などで研究されていそうですが私自身よくわかっているわけではありません。けれど理由はともあれ本当はどう見えているかまで、違うということはよくあるのだと思います。

 そして、同じものを見て同じに見えていないかもしれないという視点は、話の混線を修正し論点を見えやすくすると感じます。余計な説明をしなくてもわかりあえる関係は心地いいものです。それが成り立つことで信頼関係が深まることも多いです。わかりあえる相手でも同じものを同じに見えていないことから始まっているのです。同じものを同じに見えないところから全ての人間関係始まっていると考えたら、難しいを通り越してなんとかなるかもしれないと感じています。