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技術の発達

 AIが脚光を浴び出してから人間にしかできないことをしていかないと生き残れないのではと言われています。今私たちが携わってる様々な職業も将来淘汰され残らないものが出るとも言われています。そのため単調な作業は機械やAIが肩代わりするだろうと予測され軽んじられている風潮を感じます。もちろん職業は労働力に対して対価が支払われるものですから、時代によって必要とされる職種が変わることは歴史を紐解くまでもなく過去にもありました。そして技術の発達の恩恵を私たちは受けてきました。

 けれど私たちが生活する上で技術で補って欲しいことは既に飽和状態にある感じがしています。新しい技術で生活を改善して欲しいという要求が弱い気がします。これはもしかしたら閃きやアイディアが枯渇しているのではなく、人間も生物である以上技術で補ったほうがいいことには限度があるからではないかと思うのです。不便か便利かの選択肢で選ぶのなら、もちろん便利な方がいいのですが、本当にそれでいいのかという段階にきている気がします。

 これは図書館にも当てはまります。特に上田市の図書館の規模では技術で補ったほうがいいことは既に実現しているのではないかと思うのです。例えば蔵書点検も本にICタグを埋め込むことによって棚ごと一度に確認ができたりします。一冊づつ点検するより格段に手間がかかりません。けれど手間をかけたほうが蔵書の印象が作業した人間に刻まれます。何を持っているかはデータベースになっているので調べるスキルがあれば図書館職員がわざわざ覚える必要はないもしくは覚えること自体が合理的でないという考え方もあります。そして職員の配置方法や採用の仕方で蔵書の知識を持つことがプラスに働かないこともあります。けれど利便性だけで判断すると図書館の根幹が揺らぐ気がします。

 私は手間をかけることも含めて図書館があるのだと思います。選書して蔵書を構築している以上、人が手を入れてこそ図書館が活きるような気がします。技術を導入して今風にすることで生き残れることもありますが、あえて昔気質を貫くことで生き残れることもあると考えています。