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加齢のせい?

 先日、自宅の本棚を整理していて、久しぶりに学生時代に好きだった本を手に取りました。そして本文のレイアウトに驚きました。最近出版されているものより、活字が小さく行間も狭く空白が少ないのです。比べることがなかったので、これほど変化してきているとは思いませんでした。情けないことに今の私は、このぎっしりと活字が詰まった版で読みたいとは思わなかったのです。子どもたちに本を紹介するときに、字の大きさも文字の多さも本の厚さもおもしろさには関係ないと胸を張って言っているにもかかわらず、そしておもしろい本だとわかっているにもかかわらず読みたいと思えなかったことに愕然としました。

 読みたいという気持ちが紙面から受ける活字の印象で左右されるということは、読書の楽しみを知っていても起こることを自覚してしまいました。そこで理由を考えてみました。

 まず思いついたのは、見え方の問題です。加齢と共に視力が徐々に衰えてきています。活字の大きさや行間の狭さは読みにくさにつながり、文字の判別に労力を割くことになります。そのため紙面から受けるマイナスの印象が読む意欲の減退につながってしまうのではないかと考えました。

 次に思いついたのは体力の問題です。最近一気に読みあげることが減っていると感じています。しなければいけないことが増えて時間が自由にならないことを差し引いても、夢中になって時間を忘れて読むということができなくなっているのだと思います。これは体力ひいては集中力や持続力の低下が招いているのだと思います。

 以上の2点は共に加齢の問題ですが、ただこれだけでは理由としては弱い感じがしました。

 そこで最後に思いついたのが、活字に対する飢えです。紙面のレイアウトに関しては遡ると活字の大きさや行間のみならず段組が違っています。2段組どころか3段組といった辞書のような作りの物もめずらしくありませんでした。本自体も厚みがあり表紙が堅牢な本が多かったと思います。本が手に入らない時代には活字に対する飢えがあったので分量のある本が好まれ、それがレイアウトに反映されたのでしょう。そう考えると時代の反映ということになるかと思います。

 時代は変わり本だけでなく様々なメディアや娯楽が増えて活字に対する飢えというほどの状況にはならないことは幸せなことだと思います。それでも物語を求める気持ちは必要だと思います。読み終わってしまうのがもったいなくて、もっと続いて欲しいと思うくらいの気持ちは、今の時代でも持つことができます。そう考えるとやはり本の厚さや活字の大きさは物語のおもしろさには関係なく、読みたい気持ちは本のレイアウトに左右されないのだと感じています。