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読み書きそろばん

 学校教育は、どういうおとなになって欲しいか、どういう力をつけて欲しいかという理想像から語られる事が多いと思います。そんな中で最近学校教育を終えた子どもたちを働き手として受け入れる側の要望が反映されていると感じています。児童生徒の労働観を育てる事を目的としたキャリア教育や小学校での英語教育、プログラミング教育等、労働を視野に入れた教育が組み込まれてきています。私たちは労働の対価を糧に暮らしていますからこれは大事なことだと思います。そして時代に則して必要な能力を教育に組み入れて子どもたちが生きやすいよう応援しているのだと思います。

 ただいけないことに義務教育の期間以外すべての人に一斉に伝えたり指導する機会がないため、この時とばかりに様々なことが盛り込まれる傾向があるのだと思います。けれど学校の授業時間が増えている訳ではなく増やせる訳でもありません。新しいことを取り入れるということは、今までやってきたことを削るということです。そして義務教育は落第することがありません。身についていなくても進級していく制度です。やるべきことが増えてできないことが増えていないのかは心配されていない気がします。 

 そして今個々のペースで学ぶことに光が当たっています。自分で課題を見つけて自分で考えることは重要なことだと思います。学ぶ意欲という点では有効なやり方です。けれどこれが成り立つには読むこと、書くこと、計算することがある程度自在にできる必要があると思います。読むこと書くこと計算することはどれも極めようとすれゴールがないものですが生活する上では必須です。できて当たり前と思われがちですが、放っておいてできるようになるものではないことが忘れられていると感じています。

 児童生徒の自主性が尊重され、興味があることを優先できる方向に進んでいるからこそ、基盤となるものを取りこぼす危険があることを意識したいと考えています。できて当たり前のことができるようになることに力を注いでも、評価されることはないかもしれません。それでも新しいことばかりに注力していくと、読み書きそろばんが危うい人が増えてしまう気がします。