· 

わかりやすいって

 皆さんは総合計画をご存知でしょうか。市の目指す将来像を示し、その実現のための施作の方向性と基本目標をまとめたものです。これは上田市独自のものではなく全国の地方自治体でもそれぞれ策定されているものです。

 先日この総合計画の概要版が全戸配布されました。概要版は14ページほどのものですが、原物は182ページにわたる冊子です。最初に概要版を見てみましたがカラフルで視覚に訴える作りになっていました。ページ数が少ないから写真や図などを多用しわかりやすくしているのだろうと思い、182ページの現物を見るとこちらも同様に視覚に訴える作りになっていました。以前取り上げた中学の公民の教科書のように言葉で伝えるのが難しい概念的なことを写真で伝える感じです。この手法は手っ取り早くわかりやすさを求める風潮に応えた形ということかもしれません。けれどこのままこの流れに流されて本当にいいのか危険信号が点滅する感じがしています。

 わかりやすいことは、良いことですが、視覚に訴えることが本当にわかることにつながるのか疑問です。写真は見る者の感覚に直結し雰囲気を受け取ることに長けたものです。写真家が切り取った場面が言葉を超えて主義主張を強く広く訴えることはピューリッツァー賞などが証明しています。けれどこれは報道という場面だからこそ生きるものだと感じています。報道というスピードと拡散が求められる分野における、ある意味問答無用の手法なのだと思います。この劇薬とも言えるものを分かりやすさと同義に捉え不用意に使うことに違和感を持ちました。

 市の未来像を描き出す総合計画は市民の暮らしを支えるものです。市民の暮らしは個人の生活だけでは成り立たず、個人を取り巻く社会の営みまでが暮らしです。そして未来は誰かに授けてもらうものではなく自分で切り開くものですから、自分のことだけでなく社会のあり方を含めて切り開く必要があるのだと思います。社会のあり方の方向性を決めるとき、全員の賛同が得られることは限られます。簡単に決まらないことだらけなのです。社会のあり方を扱う総合計画は考える材料としての役割が大きいのではないかと思います。わかることを焦って、雰囲気に流されると市民の力が発揮されないのではないかと思いました。