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わかりやすいって その2

 総合計画を見て、もやっとした感じの正体を捕まえようとして、うまく捕まえきれなかったので続きです。

 まず総合計画は読むというより見るという感じのものでした。これはわかりやすさの弊害なのではないかと思います。

 いくつか行政の計画の策定会議に参加したことがありますが、たびたび耳にしたのは「誰が読んでもわかる」というフレーズでした。もっと踏み込んで中学生でもわかるという言い方がされることもあります。この表現はお役所言葉と揶揄されるような行政独特の言い回しがわかりにくいという反省から生まれたのだと思います。それがいつの間にか「誰が読んでもわかる」から「わかりやすい」に変わってきたのでしょう。

 「誰が読んでもわかる」は言葉と文章の問題です。類語をあたってなるべく平易な言葉を使ったり、類推させることを避け主語をはっきりさせる、文章を短くするといった工夫を求めることです。けれど「わかりやすい」は文章の問題だけでなく理解させること、納得させること、共感させることが含まれていると思います。そのため図や写真といった文章以外のものが求められていくのだと思います。理解が容易になるなら「わかりやすい」作りに問題がないように思われていますが、ここに問題があると感じました。

 文章で説明されると読んだことを自分の中に一旦取り込んで考えます。読んでいたら咀嚼しつつ考えを巡らせないと内容が受け取れませんし、結論だけを鵜呑みにはできません。読むときには自分に取り込んで考えるという一手間が必ず発生しこれが読むことの意義だと思います。文章の言葉そのままを自分の中にコピーしているのではなく、無意識に自分なりに咀嚼し受け取っています。読むことと考えることは切り離せないものです。だからこそ読書が大事だと言われ続けているのだと思います。

 一方、「わかりやすい」ために使われる図や写真はこの一手間を割愛し、一足飛びに結論を見せられる感じがします。もちろん図や写真でしか表せないものもあります。わかりやすいからと文章の代わりに使われるのに違和感があるのです。適材適所で使ってこその図や写真だと思います。そして図や写真を多用したわかりやすさを目指すのではなく、考える材料として受け取れる作りであって欲しいと思います。親しみやすい作りでなくともおとなは必要とあらば義務でも読めます。おもしろそうだと思えなければ読めないのは子どもの特性です。ここをきちんと分けて考える必要があると思います。