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責任という言葉

 何か始めようとしたときに、責任を取る立場にないとか責任が取れないという言い方がされることがあります。訴訟が頻繁に行われるアメリカなどでは裁判で驚くような賠償金が示されることをニュースで見聞きします。そして日本でも企業は事故防止の観点からお菓子の包装にまで読めない程細かい字で注意事項が書き込まれています。責任という言葉は、聞いたら黄信号が灯るような危機感を呼び起こされる言葉になってきていると感じています。

 そんな中で興味深い記事を読みました。責任という言葉は3つの異なる責任の集合体だというのです。英語では責任は一つの言葉ではなく3つの言葉で使い分けられていることが理由に挙げられていました。Responsibility 遂行責任 Accountability 説明責任 Liability 賠償責任という3つの言葉が相互に影響し合うことで、責任を果たすという形になっているという記事でした。そして驚いたのはこの3つの言葉は組織において役職とは関係なくすべての人に発生する点です。物事をやり遂げる遂行責任などは最前線の人の役割のような気がしますが、英語の場合やり遂げる責任は管理職程重いと捉えられています。説明責任も問題点が起きた時の再発防止策から責任の所在を明確にし処分を引き受けることまで含まれています。賠償責任も損害賠償のイメージがあるので会社のような組織の役割のような気がしますが、働くことで賠償することまでが含まれるのでやはりすべての人が引き受けるものと説明されていました。

 言葉は生活に根付いているものですから、英語での使われ方が正しくてすぐ応用したほうがいい訳ではないと思います。けれどどの立場でも責任が発生するなら、責任という言葉で立ち竦むより、改善策を考えたほうがいいのではないかと思えます。そして文科省が提唱する生きる力=自ら問題点を見つけ解決する力というのは、責任がかからないような選択をすることと相容れないのではないかと思いました。生きる力を育むという言い方に出会った時に難しいことに取り組むことになったと漠然と感じましたが、責任の所在を理由に自分で解決策を考えることを避けているからかもしれないと思いました。