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読みやすさ その2

 読みやすさを考えていくうちに、大事なことをやりとりする際の長文のメールはプリントアウトして読んでいるという友人が何人かいることを思い出しました。画面上では正確に読み取れない気がするというのです。その友人とはグループメールで同じ文面を受け取ることがあり同じメールを読むことがあります。確かに友人がプリントアウトしている文面は、長文でぎっしりと書き込まれ、一行の長さがまちまちで本を読むように読むには読みにくいものです。多分発信者が書いているものと、受信者が見る際の画面が違うため、書いたものとは違う表示になるのだと思います。発信と受信のどこにどう優先権があるのか分かりませんが表示する文字の大きさの指定ひとつで改行が変わってしまいます。パソコンなどは自分で自由に文字の大きさが変えられることで読みやすさを保証しているため、改行の位置や段落の作り方、文字の揃え方なども考慮に入れて書かれる本と同じには扱えないものなのだと思いました。

 そして読みやすさは何を使って書いているのかを意識することが大事なのだと思います。書く道具の変化によって書き方が変わっていくものだというのは千年ほど歴史を遡ると分かりやすいと感じました。筆と墨と和紙の時代から筆記具も紙も変わってきています。私はペンと原稿用紙の時代に育ってそれに馴染んでいるので、意識しないと原稿用紙の感覚になってしまうことに気が付きました。

 また読むことに関しては圧倒的に縦書きが読みやすいと感じています。日本語の場合この縦書きと横書きの違いも分かりやすさと関連していると思います。そして横書きである上に、意図した表記では見てもらうことができないインターネット上での文章を、いかに読みやすくするかの工夫が、一行空けのような新しい書き方なのだと思います。

 そうは言っても書き方が切り替わる訳ではなく、使い分けられることが求められていくと感じています。そして読むことも横書きと縦書き両方読める必要があります。新しい文章は横書きが増えていっても縦書きでしか表現できないものや縦書きだったからこそ生まれたものがあるからです。書くことも読むことも適材適所で使い分けられるよう習得していくことになりそうです。