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人間関係の上に

 言葉は人と人とが意思疎通をする道具として使われています。そして相手との関係性で使う言葉を変えていくものだと思います。そのため発信する側に人間関係の理解がないと適切な言葉を選ぶことができない側面があります。それは敬語や謙譲語などのイメージから階級社会の名残と捉え平等を阻害するものと捉えられることもありますが、相手を尊重したり、親しみを込めたりすることも含まれていると感じています。そして言葉の選び方は話し手の個性によって変わり、どこで誰と話すのかによっても変わってくるのでこれさえ覚えておけば大丈夫といったものではないのだと思います。ですから乳幼児期というのは最小単位の親子という関係から徐々に人間関係が広がっていく時期なので言葉を体得していくのに理想的な環境だと思います。言葉は生活に密着したもので様々な人間関係と共に変化する言葉を身につけることができるからだと思います。

 こう考えると、ストーリーテリングを息を詰めて集中して聞く子の中に、あまり本に馴染んでおらず、外で遊ぶのが大好きな子が混じることがあるのは当たり前だと思えます。仲間と外で遊ぶには円滑に仲間と意思疎通ができる必要があり、それをこなしている子どもだからです。そして多分体験が豊富で体験に根ざした言葉を持っていると推測できます。最近は個性が重んじられ何か特化したものを探そうとしますが、子どもの育ちは本当に平凡なことの積み重ねの中にあり、人との関わりが欠かせないのだと思います。