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イメージと読書の楽しみ

 活字から頭の中にイメージを思い浮かべながら読む事が読書だと捉えています。読書をするには登場人物や背景が自分なりにイメージできなければ物語についていけません。読書を楽しんでいる人は、具体的に言葉にしないまでも、意識する事なく言葉からイメージを受け取っているのだと考えています。

 先日「本はともだち」の打ち合わせで映像と読書についてが偶然話題にのぼりました。好きな小説が映像化された時に主人公のイメージが違ってがっかりする事があるという話をして共感し合っただけでなく、自分が好きな場面での印象も違うことがあるという話になりました。映像化は映像化をした人のイメージを見る事です。そのため自分が見たいイメージを見せてくれない事があるのだというあたりまえのことを確認し合いました。確かに映像化されたものを見て、そこじゃないんだよなぁと思うことや、イメージがうるさいと感じることを思い出しました。そしてそれがこの世のものではない時ほど自分のイメージとの乖離が激しいと思います。

 例えば、トールキンの『指輪物語』などは、登場人物が空想上のホビットやエルフ、ドワーフなどが多数登場し物語が展開していきます。日本語版はシリーズがまとめて出版されたわけではなかったので続きを楽しみにしつつ自分の中で丁寧にイメージを温めながら親しんだ物語です。そのため映画版の『指輪物語』は予告編を見ただけで、何か別の話かと思ってしまいました。特に映画のドワーフは受け入れ難い感じがしました。私の中のドワーフは汗の匂いを感じるような生々しい肉体を持ったものではなかったからです。炭鉱を掘るのが得意で頑丈な体を持っているからと言ってあれほど生々しいイメージは持っていませんでした。自分で読むと好きなところで好きなだけ止まって空想にふける事ができるというのが読書の楽しみのひとつだと思ってきましたが、自分の好きなようにイメージして好みに合わせて見たいように受け取っていることも読書の楽しみだと改めて思いました。そして自分で読んだら物語のおもしろさをもっと感じることができるという自分の考えに自信を持ちました。