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読むことと書くこと

 何度も書いていますが、私は書くことを苦手だと思って育ち今まで過ごしてきました。そのため子どもたちの読書に関しては読む力の習得に寄り添える感じがしますが、書くことに関しては自分自身を含め書く力の習得自体に確信が持てていません。話すことがある程度できるようになることが読むことができるようになる始まりで、読むことが可能になると書くことができるようになる始まりだという、言葉を使いこなす順番を知っているだけです。私は話すことを生業としてきたので話すことと読むことの連動は強く感じています。多分読むことと書くことも連動しているであろうと思いますが実感できるほど書いてこなかったというのが現実です。そして本を読む人は書くことができるという言われ方にプレッシャーを感じてきました。自他共に認める読書好きにもかかわらず書きたいと思えず書けなかったからです。

 先日、偶然ある小学校の先生がおっしゃった一言にハッとしました。「何を書いたらいいのかわからないと子どもは言うけれど、それでも書いているうちに書けるようになるもの」という言葉でした。言葉は使ってこその言葉です。私はなまじ読めたものですから、自分もまわりのおとなも書けないはずはないと思ってしまい、書いているうちに書けるようになるという当たり前のことを見失ったのだと思います。思うように書けないことで書くことを放棄してしまうのはとてももったいないことだと今ならわかります。子どもたちに対して思うように読めないところで諦めてしまわないように工夫しているのですから書くことだってやはり同じなのです。言葉の習得は時間がかかり、習得する者もそれを支える者も根気が必要なことだと改めて思います。そして使うことでしか身につかないものですから、習得を支える者の根気と言葉を使いこなすことに喜びを感じていることが必要だと強く思いました。