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学校教育

 学校教育は明治時代に導入されて以降、子どもたちにどういうおとなになって欲しいのかという国の指針に沿って教育が行われてきました。そのため「教育が目標とするおとな像」が時代を映し、その時々で変化してきました。そして教育を受ける側の置かれた状況も時代と共に変わってきました。古くは子どもたちも労働力だったため食べることに精一杯で学校へ通えない子が存在し、今では教室で過ごさない形の登校や登校しない子どもたちが存在します。

 衣食が足りない時代やその記憶が残っている時代には働く目的が明確で、学校教育も働くことにつながる重要なものと社会が認めていたように思います。けれど衣食が足りてくると働く意義が薄れ、なぜ学校へ行くのかという疑問が生まれてきたのだとすれば皮肉なものです。そのため新しい指導要領は学ぶ側に当事者意識を持たせ学びの必要性を教える内容だと感じます。ただ状況は刻々と変化します。衣食が足りていたはずが徐々に貧困が忍び寄ってきていることにも不安を感じます。現在課題とされていることだけに対応しようとすると問題の本質がずれていく可能性もありそうです。

 またコロナ禍を過ごしてきて、学校は知識を得るだけでなく、社会の縮図を体験する場なのだと感じるようになりました。他者との距離感を覚え、主義主張の違う者同士どう関わり、どう集団を形成していくのかを身につけていくことも学校の役割だと思います。学習だけに目を向けるのではなく学校生活自体の重要性も意識していくことが大事だと感じています。

 そして今までは専門性を重んじ役割を細分化する傾向が強い時代でしたが、変化を体感する時代は自分の周りで何が起こっているのかを知る必要があると感じています。学校の変化は学校図書館はもちろん公共図書館も見極めていく必要があると思います。