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距離感

 「おはなし の会」や「本はともだち」事業で私は子どもたちと接する時、子どもたちを塊として感じています。1人に伝えているのではなく、そこにいる全員に伝えているからです。この、集団を塊として感じる感覚は人との距離感の取り方につながっていると思います。そしてこの距離感は「自分が何をしようとしているのか」と結びついているのだと思います。例えば質問を受けたとしても一対一の時は内容に関わらずその子と一緒に知りたいことが何なのかを整理することから付き合えるのでその子のために特化した答えになっていきます。けれど集団で出てきた質問は、その時伝えている事と照らし合わせて全員に必要な内容でなければ取り上げない選択になる場合もあります。ただ距離感によってできることが違うだけで、どちらがより優れているという訳ではありませんし、私たちは様々な距離感を使い分ける必要があります。

 問題は人との距離感は親しさの反映だと思われがちなところです。付き合いの深さばかりでなく相手の数によって違うことを意識することが大事です。そして距離感があった方が見えることもあることを意識したいと考えています。距離が近すぎて見誤ることが多いのは自分の子どもではないかと思います。程度の差こそあれ我が子可愛さに目が曇ることから自由になれる親はいないのではないのではないでしょうか。私たちは距離感が近い相手がいなければ育ってこれませんでしたし、子どもを育てられなかったと思います。そして同時に距離感のある相手と関わってこれなければ視野が広がらず世界が広がらなかったのです。

 また距離感は相手があってこそ生まれます。相手にも距離感が備わっていないと必要な距離感が保てません。そして相手との距離感は自分の役割と相手の役割が理解できていないと分からないものです。まずは「自分が何をしようとしているのか」という自問から始まるのではないかと思います。