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知っているの先

 子どもたちと付き合っていると、よく聞く言葉に「知っている」があります。本の紹介をしたり、何か説明しようとする時によく合いの手のように入る言葉です。子どもたちがどういう意図で使っているのかは子どもによって違うのだと思いますが、知っていることはゴールではなくスタート地点なのだと考えています。知っていることを増やしていくことで知識が増えるという側面が目立ちますが、知っていることは比較対象として新しい知識の理解を助けたり知識の定着を促したりします。そして知っていることの1番のベースは実際自分の体で感じたことだと考えています。体験したことは様々な知識とともに体に刻まれ記憶として残ります。長さの単位などはその典型的なもので基準となる大きさを思い起こせるかで知識の定着が違います。ミリ、センチ、メートルを暗記する形で知っている子と具体的な物の大きさの感覚をもっている子とでは理解の度合いが違ってきます。具体的な物で考えることができれば取り違えようがないからです。これは子どもだけでなく、おとなでも同じだと感じています。先日も高さ1メートルほどの土手に除草剤をまいたために土が剥き出しになり、最近の土砂降りで土が流れて困っているという話をその現場で聞きました。森林には土砂崩れを防止する機能があるので、無闇に山を切り開くのは災害につながるということは知識として知っていましたが、草も同じ機能があるのだと興味深く実際目にすることで知識が自分のものになった感覚を味わいました。このように知っているからこそ興味がわくことというのは意外と多いのだと思います。

 詰め込み教育の反動から子どもたちが自発的に興味を持つことが求められるようになってきています。けれどある程度の知っていることがないと興味自体がわかないのではないかと思います。もしかしたら問題だったのは知識を詰め込むことではなく、知識が増えた先に新たな興味が広がり新しい視点や考え方が生まれるということを教えることができなかったことなのではないかと思います。そう考えると今求められている探究的学習の目的は「知っている」の先を教えることなのかもしれないと思います。そして「知っている」の使い方は言い方を変えると情報の活用の仕方を知ることであり図書館は最適な場所だと考えています。図書館は様々な情報を収集保存提供することで利用者が個々自分に必要な情報を集め組み合わせ自分に必要な解を創造するのをサポートしてきた機関だからです。これからは図書館で何ができるのかをより具体的に体感してもらえるのかもしれません。