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探究的学習

 今子どもたちは探究的学習をすることが求められています。おとなは探究的学習だと認識していなくても「おもしろそう」や「どうして」といった知的好奇心が出発点で何か知識を得た経験は多かれ少なかれあると思います。そのためおとなは「おもしろそう」が原動力になることで力が引き出されることを体験的に知っています。そして自発的に興味を持った時の子どもの爆発的な集中力や持続力を目の当たりにすることもあります。けれどその自発的な興味は偶然の産物なのではないかと感じています。そしてこれを意図的に起こさせ学びの起点にするのが探究的学習だと思います。子どもの意欲に沿った画期的な学びのように捉えられていますが結構ハードルの高い要求だと思います。

 言葉の習得の過程に注目していると、人間には知的好奇心が生まれながらに備わっていると感じます。土に水が染み込むように飽くことなく言葉を覚えていく様は人間の生きる力を見る思いです。そして幼児期の「これはなに」「どうして」といった質問で表される知りたいという意欲はおとなが音を上げる程強い物です。

 ただこの知的好奇心は子どもたちを取り巻く環境によっては疎まれることがあります。子どもは生活のリズムを作る必要があるため知りたいという欲求を最優先できない場面が家庭においてどうしても出てきます。集団生活をするようになれば集団生活を乱すものとして知りたい欲求を封印し今やるべきことを覚えていく場面も増えます。加えて、ともすると果てしなく続く子どもの「どうして」に好奇心を潰す返答をしてしまう事も珍しいことではありません。こうして小学校へ入学する以前に、子どもたちは知的好奇心のまま動いてはいけないことを感覚的に覚えていきます。けれど知的好奇心を闇雲に発動させないことに躍起になりすぎると無駄なもの、邪魔なものという形で子どもに擦り込まれてしまう場合があります。

 以前は子どもの持つ知的好奇心は封印しても問題がない授業が行われてきました。授業を滞りなく受けられることが求められ先生が教えたように学ぶことが重要だった時は知的好奇心を封印することは子どもに不利益を生じさせることではありませんでした。けれど今は知的好奇心を持つことを求められます。これからは知的好奇心とうまく付き合いコントロールすることを子どもに伝えていく必要があると感じています。