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話すことも

 高校生から連絡をもらい、数人のグループの探究学習に協力することになりました。事前に知り合いの司書の先生からお願いしたいことがあるので電話番号を教えて欲しいと連絡をもらっていたのですが、直接生徒から電話がかかってくるのだと思っておらず、何が起こったのか最初はよくわかりませんでした。

 知らない番号からの電話を受けないだろうという配慮からか司書の先生の携帯電話を借りての電話だったことも混乱を深めました。名乗られている名前と電話に表示されている名前が一致しないのです。「私〇〇高校の〇〇と申しますが、今よろしいでしょうか? 探求学習をすることになり読み聞かせについてお話伺いたいのですが◯日はご都合いかがでしょうか?時間は?場所は?」と畳みかけられて困惑しました。そもそも読み聞かせをしているところを見学したいのか読み聞かせのやり方を知りたいのか何を聞きたいのかわからなかったので質問するとそれに関してはまた相談してという返事です。ただこちらの意向に合わせたいという気持ちは伝わってきていて場所も時間も私の都合を聞いてくれます。高校生ですし電話で依頼することや、交渉することに慣れておらず、多分話す内容を下書きしてそれを読んでいるので微妙に会話が噛み合わないのだと思いました。

 話すことと文章に書くことでは伝わり方が違います。もちろん高校生の時に自分がわかっていたかと言われれば理解できていなかったと思います。けれど高校生の私は電話で交渉する機会がなく必要もありませんでした。社会人になるまで電話は知らない人にかけるものではなく、知り合いと使うものだったからです。そして固定電話が主流でしたから、友人の家にかけて友人の親が出た時は、しどろもどろになりながらおかしな敬語を使ってみたり、それこそ呪文のように決められた言葉を息もつかずに言ってみたりという今思えば冷や汗ものの電話対応でした。けれどそうやっておとなが付き合ってくれたからこそ社会人になって困らなかったのだと思います。携帯電話が主流になり知らない人からの電話は迷惑電話だと思わなければならない世知辛い世の中です。電話の内容以前に知らない人に電話すること自体が高校生にとってほとんど経験のないことなのかもしれません。

 そして高校生の名誉のために付け加えると電話をもらった後、詳しいことはメールでとお願いしたら、添付ファイル付きのメールをいただきました。最初からこれを頂いていれば戸惑わなかったと思える、きっちりと整理されたものでした。電話とのギャップに驚くほどで、その高校生グループに会うのが楽しみになりました。探求的学習を推し進めることは学びの変化をもたらすと想像していましたが、この学びの実現には今まで取り上げられることが少なかった話すことの力が想像以上に必要になりそうです。