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言葉で伝えるからこそ

 ストーリーテリングを学び始めた頃、言葉だけで物語を聞くのであれば物語の中で起こったことで聞き手がダメージを受けることはないと教えられました。それに関連して人は自分の耐えきれないようなことをリアルにイメージしないものだとも言われました。ストーリーテリングでは昔話がしばしば語られます。昔話の世界では死が珍しいものではありません。また主人公の苦難の中には虐待といって差し支えないようなことも起こります。また善人と悪人がはっきりしているので一般的な人間像とは程遠いものです。そして悪人が受ける罰は話によって苛烈なものも含まれます。こういった昔話の内容に眉を潜めるおとなも多いのではないかと思います。けれど物語の中で起こっていることを自分の痛みとして置き換えるには実体験が欠かせないのだと思います。リアルなイメージを持てば持つほど昔話で起こっていることは残酷で強烈なものになります。

 おとなは自分の経験から、よりリアルなイメージを持ちます。例えば幼くして親をなくす主人公が出てくるとその境遇によって起こるだろう困難さを親が死んだということだけで想像します。一方子どもたちは主人公の困難さを食べるものが十分に与えられないなどの具体的な出来事の積み重ねで受け取ります。同じ話を聞いても自分の受け取れるだけのイメージを受け取っているのがストーリーテリングです。また昔話には現代では想像もつかないような罰も多く、それが残酷だといわれる所以だと思いますが、これもイメージの持ち方で印象が変わります。グリムの昔話に最後罪人を裸にして釘を打ち付けた樽に入れその樽を馬に引かせて殺してしまうというものがあります。ここまでくるとおとなでもリアルに想像したくないようなシーンですが、子どもに至ってはなんだかよくわからないけれど大変な罰が下されたのだと受け止めます。昔話ではそのシーンをリアルに描写するのではなく、罰の内容が言い渡され、そしてそのようになりました、という言い方をするからです。

 このように殊更にリアルにイメージしようとしなければ、強烈なことが起こっていてもそのまま物語を受け取ることができるようになっています。映像のように受け身のものとの違いはここにあります。ですから残酷だといわれつつも昔話は映像作品のように年齢による制限をかける形にならなかったのだと思います。そして残酷だから子ども向けに内容を変えることは昔話にとっていいことだと思えません。言葉で伝えること、そして伝わり方を考えれば、そのままの形が昔話が一番映える形だと思います。昔話の本は地味な作りのものが多く子どもたちが自分から手に取るものではないですが、残酷だからと勧めないのはもったいないと思います。加えてたとえアニメーションだとしても映像化しない方がいいのが昔話だと思います。言葉の力が守って来た世界を言葉で伝えていかないと昔話の魅力を感じることができないと思います。