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続くには

  子どもの読書に長年関わっていますが、ストーリーテリングや読み聞かせから始めたせいかボランティアで関わることも多いです。ボランティアをしたかったのではないのですが、子どもの読書に特化する活動が含まれる職業を見つけられず、結果ボランティアという枠で活動をして来た部分があります。

 そしてボランティア活動は実は不確かな物の上に成り立っていると感じています。ボランティア活動の根幹にあるのは善意です。困っているところに力を貸すという発想の活動です。この助け合いの精神につながる善意は必要なことを請け負うという点で家事に似ていると感じています。私たちは対価を求めずに生活を整えて暮らしています。家事は個人の感覚に任されていて、何にどの程度時間をさくのかに正解はありません。それぞれの価値観と置かれている状況でやり方が変わっていく物だからです。埃じゃ死なないという家も塵ひとつない掃除の行き届いた家も正解になりえます。少し前にツィッターでポテトサラダ論争が起きていましたが手作りもお惣菜を買うのも他人がとやかくいうことではないのです。答えは自分の中にあります。自分に聞いて自分がよしとすることをその時その時でするしかないのです。

 こう考えると災害ボランティアのような突発的な事に対してボランティア活動は力を発揮しますが求める枠組みが決まっていることに関してはボランティアは相性が悪いと感じます。例えばコミュニティースクールは地域の人がボランティアとしてコミュニティースクールに参加することが折り込まれています。そしてボランティアコーディネーターが配置されボランティアをいかに集めるかに力が注がれています。けれどボランティアが集まらない、ボランティアの高齢化が進み次の担い手が見つからない等の人材不足に悩まされています。この様な活動の枠組みが決まっている場合のボランティア活動は無償の働き手として捉えられているように感じます。継続性を求める活動の場合、もしかしたらボランティアでない方がうまく進むのかもしれないと思いました。