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答えは出ている

 「読解力より、音読単語」という記事を読みました。塾を主宰していた経験のある方がnotoという投稿サイトに書かれた記事で興味深い内容でした。公立中学で偏差値55以下の生徒は音読み単語にピンとこないという共通した特徴があるというのです。その子たちは意識、思想、速度、制御、提示など音読み単語が理解できないので音読み単語を噛み砕いて説明する必要があったそうです。例えば速度=速さ、距離=遠い近いといった言い換えをしていくと理解でき、それを繰り返すことで音読み熟語を体得していったのだそうです。その理由を筆者のshinshinoharaさんは家庭内などの会話で使われる語彙の影響であり音読み単語に出会う経験の差だと分析しています。実際音読み単語を使わなくても日常生活に不自由を感じることはなく、文章になっていなくても単語だけで会話はできます。昭和の関白亭主ではありませんが「飯」「風呂」で事足りたりするわけです。そして伝われば言い直させるという手間を惜しんだ心当たりが私にもあります。日常生活で音読み単語を聞く機会がなければ音読み単語は子どもにとって専門用語か外国語みたいなものなので、翻訳が必要なのだという筆者説明は明快でわかりやすいものでした。そして翻訳さえきちんとできれば次第に慣れてきて使いこなせるようになったという実践から、何につまづいているのか丁寧に分析することが必要だという指摘は子どもが読めることを目指す上でも大事なことだと思いました。

 ただ、これは塾での指導のため翻訳することで覚えていくという手法ですが、読書が必要だと言われる理由はこの音読み単語の習得にも当てはまると感じました。話し言葉より書き言葉の方が音読み単語が頻繁に使われるからです。小学生のうちから読書に親しんでいたら、音読み単語をいやでも目にすることになり、意味がわからなかったら質問したり辞書を引くことで習得していけます。言葉の習得方法に画期的な方法などなく古くから行われている方法が答えのことが多いのかもしれません。そして時間をかけることが実はコツなのかもしれないと思いました。