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使い方次第

 新型コロナウィルスの感染者数が増加している今、状況によっては義務教育でも対面授業が難しいと判断される可能性もあり文科省が進めてきたGIGAスクール構想の真価が問われる事態になってきました。コロナ禍が追い風となり予定よりも前倒しで進んだためGIGAスクール構想の基盤となる一人一台タブレットをという環境整備は急速に進みましたが、とりあえずタブレットを授業に取り入れることが最優先になりタブレットを使ったことがゴールになるような感じで移行期とはいえ指導する先生方がインターネットを使わせることについて考えている余裕がない印象です。

 けれど子どもたちが日常的にタブレットを使った学びに実際取り組み始めたことで今まで懸念されていたインターネットを子どもに使わせる難しさと向き合わざるを得ない状況なのだと思います。タブレットでの学習は子どもたちがインターネットを自由に使えることが前提です。けれど今まではインターネットの利用に制限をかけ限定的に使うことで子どもたちを危険から守ろうとしてきました。使わなければ安全だという考え方でインターネットを扱ってきたため子どもたちの成長段階に合わせてインターネットとの距離感を教えるといった経験が学校にはほとんどありません。

 またGIGAスクール構想と同時に展開されている主体的な学びとインターネットの組み合わせは相性が良いのです。個人の知りたいことに沿って調べるのはインターネットの得意とすることだからです。けれどインターネットの情報は真偽の判断を調べている本人がするしかなく、調べ方によっては極端に偏った意見ばかりがヒットし、ある程度の知識がない分野だとおとなでも情報選択に迷う事があります。多様性に満ち同じ疑問は二つとないかもしれない個人の知りたいことと際限のない情報量を持つインターネットの世界という組み合わせにどのように対応し、情報選択の仕方をどのように教えていくのか教える側も試されていると感じています。

 そして子どもたちはタブレットの操作に関してはおとなより覚えが早くおとなの思惑とは別のことも容易にできてしまうと思います。授業中に授業と関係ないことをするのに最強な機器を手にしているのです。授業以外のことをする魅力に抗うにはかなり強固な意志が必要で子どもの良心に任せるのは酷な気もします。子ども時代授業中に教科書の下に本を置いてこっそり読んでいて先生に怒られた経験のある私としては、タブレットで本を読んでいたら先生に見咎められずに本が読めるのではと考えてしまいました。もちろん閲覧履歴でチェックするという手もありますが、全員の履歴をチェックする手間を考えたら合理的ではありませんし、履歴を消去する知恵を子どもはすぐに身につけると思います。

 インターネットが社会に根を下ろしていく過程で子どもに使わせない形でやり過ごした時間が今の私たちの苦しい状態を生んでいると感じます。危ないものは使わせないではなく、危ないからこそどう使うかを教えていくという意識の変化が必要なのだと思います。インターネットに限らずどんなものも使い方次第だと思うからです。