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インターネット以前に

 インターネットを使うといっても、言葉を使わずに情報を受け取るわけではないので、話す、聞く、読むといった言葉の習得から自由になるわけではありません。インターネットでの情報収集は紙ベースの資料とは比較にならないほど膨大な情報の中から情報を受け取っていくので、むしろ以前より習熟度を上げないと対応は難しいと感じています。またそれだけでなく報道自体についても客観的に見る視点を育てていかなければなりません。新聞でさえ何紙か読み比べてみると、同じ事柄を記事にしていても微妙にニュアンスが違いますし、取り上げる記事に各新聞社の特色があります。また今はネットニュースも盛んで様々な記事を目にします。中でも最近はSNSが記事の内容に影響を与え、記事としての客観性が以前より弱くなっている印象があります。記者が足を棒にして記事のネタを集めていた時と違い、多種多様な事件をSNSで簡単に拾う事ができます。そしてSNSが取材までの道のりを平坦にし個人の発信をマスコミが後押しする感じの記事が増えています。

 こういった記事の場合、事件を客観的に判断するには読み手の知識と事件に関する情報収集力が必要になります。発信者の価値観に基づいた内容の場合、その価値観から考えなければならないからです。ただ情報を精査することを教える時に伝え方を間違えると情報収集自体を否定的に感じさせてしまいます。「人を見たら泥棒と思え」のように疑うことに比重を置くのではなく、多様性の問題として捉え様々な価値観を知り自分がジャッジしていく姿勢を育てることが大事だと思います。情報に対する全肯定も全否定も思考停止という点では同じ事だと思います。一人一台タブレットの導入は今までのように正解がある事が前提の考え方だけでは成り立たないと感じています。そして多様性を受け入れていくには、自分から切り離して物事を見る目が必要です。そのために集団で過ごす体験はより重要になっていくと思います。新しい機器を使うことになってもやはり人間を形作っていく過程はそう変わらないのだと思います。