· 

自分以外のものになる

 読書の楽しみのひとつは、自分が何者にもなる事ができることだと感じています。特に子ども時代の読書では主人公と一体化する事が容易だったと思います。そもそも一体化するという自覚がなく、読み進める事自体が一体化することだったといってもいいかもしれません。子ども時代の感覚を呼び起こすことには個人差がありますし、子どもは多分言葉で説明できないのでいつどうやってこの感覚が培われるのかは、はっきりしていません。けれどごっこ遊びの延長に物語があり自分と他者の区別が明確でない時期から物語と親しむことで主人公と一体化する事が自然に行われるのではないかと予測しています。

 そして読書が奨励される理由のひとつにこの自分以外のもになった体験の積み重ねがあると感じています。これは読書が想像力を育てるといわれている部分を形成するものです。自分以外のものになることで様々な立場や感じ方を身をもって体験していきます。一体化するので選択肢はなく否応なく主人公の身に起こったことを引き受け主人公の時間を生きるのです。一体化するといっても自分の感覚がなくなるわけではないので、共感できずになんでこんなことをするんだろうという疑問が浮かんだり、自分だったらこんなことはしないということもあります。逆に主人公の言動にまるで自分を見るような思いに囚われることもあります。この反発や共感が自分という存在を自覚させ自我が形作られていくと同時に多様性を認める芽を育てると感じています。自我が確立するには他者との関わりが欠かせないので、実体験だけでなく物語を読むこともその一端を担っているのだと思います。そして子どもの読書という観点から見るとそれは自我の確立が求められる思春期になってから取り組むものではなく幼児期から始まっているのだと思います。

 特に動機付けしなくても子どもたちが物語を楽しむことは、育児をした事がある人は体験的に知っています。これは物語は子どもが育つために必要なものだと人の記憶に組み込まれているからかもしれないと想像しています。自分で読む段階でつまずいて物語から離れてしまうのはもったいないと改めて思いました。