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挿絵から内容へ

 学校図書館では表紙や挿絵の絵が自分の好みかどうかで子どもたちが本を選ぶ傾向があると聞きます。特に私が関わっている小学校2、3年生の女の子が「この本好きなの」と見せてくれる本はキラキラした可愛らしい絵がついたものが多いと感じています。誰が教えるわけでもないのに、目が大きくて目の中に星が飛んでいるような女の子の絵を一律に描く時期があり、同時に学校図書館で選ぶ本もそれらの絵がついた本が多く、その時期限定の好みを表している気がします。目の大きすぎる女の子の絵はある程度年齢を重ねると好ましいと感じなくなるようで形を変えていくからです。同様に挿絵で選ばれたであろう本は選んだ子どもの世代を感じさせ、おとなの目にはその本を読んでみようと思えるほど魅力的だとは思えません。

 子どもが自分から手を出してくれることは読書を推進する上で非常に重要なことです。自発的に読むことは目標の一つであるからです。けれど自発的に読むことと自分から手を出すことは同義ではないと感じています。手を出してくれるように子どもの心を掴む絵をつけようというのは一見理に叶っているようで本の魅力を発揮させているとは言えないと感じています。読んでみて満足するかどうかはまた別だからです。

 自発的に読むようになるためには、読んで満足することが大事です。手に取ることがゴールではないと考えています。欲しいのは読みやすかったしまあ面白かったという経験を積み重ねることではなく、何度も読みたくなるような虜にされる感じの出会いをどう積み重ねるかです。可もなく不可もなくのまあ面白かったという読書は図書館の時間が確保され本を借りることが義務になっている時には借り続ける原動力にはなりますが、自分で時間を作って借りるという形にはならない程度の自発性だと思います。加えて可愛らしい絵という点だけで選ぶ習慣をつけるとだんだんその絵が映える形の少女小説的なものしか興味が持てないということになりかねません。絵で選んだとしてもその内容から別の本に繋げることが大事なのだと思います。

 そしてそれには細やかに子どもたちと関わる必要があり、学校司書ひとりが背負うには荷が重いとも感じています。ただ子どもたちが見せてくれた好きな本から、同じような内容で物語として満足できるものを紹介できるような選書能力と本の知識を持つ必要はあると感じています。先日も小学校3年生の女の子に可愛らしい星座と神話の本を見せてもらいましたが、物語的に満足できそうなものを紹介したかったのですが思いつくことができませんでした。こういったことを流さずにちゃんと探して、それを情報共有して行けたらいいなあと思います。一人ではできることに限りがありますが、仲間で活動したら道が拓けるのではないかと思っています。