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違いを怖がらない

 先日小学生の女の子が好む絵と書きましたが、多様性が重んじられる現在こういった発言が問題視される傾向があります。環境による刷り込みが子どもたちに悪影響を与え個性が尊重されない住みにくい世の中が作られたという反省からの考え方だと思いますが、おとなの反省を直接子どもに反映させることが、子どもたちの多様性を守ることではないと考えています。

 もちろん女の子だからこうしなければいけないとか男らしくないといった形で、行動や好みを強制することには反対です。そして必要ない男女分け、例えば名簿を男子から作るといったものはやめて正解だったと思います。けれど行動や好みに関しては男女に関わらず同じものを好む人が多いのか少ないのかという問題だと思います。多くの人が好むから好きというのも一つの選択です。自分の性を意識して同性が好むから選択することを刷り込みにつながることだと否定するのはやりすぎだと思います。逆に多くの人が好むから嫌いということもあるからです。環境による刷り込みを警戒しすぎると、この多数派か少数派かという情報すら問題視されてしまうと感じています。

 また子どもたちにとって比べることはとても大事な判断材料です。同じものを見つけ仲間分けすることが子どもたちが知識を増やし考えていくための土台です。違いがわからないければ物事を理解していくことができないからです。

 加えて共通項や条件によって枠組みは無限に発生するので、組み分けは確定的なものではないことを知っていくことが多様性を認めるということだと考えています。枠組みは自在に変化し、ある意味不確かだと知ることがおとなになるということだと思います。子どもたちは枠組みを作るところから始めています。子どもたちの作る枠組みは単純でおとなから見ると時に残酷だと感じるものもあります。違いを指摘することは本来相手を否定することではありませんが、条件によっては相手を傷つけるものもあります。

 けれど傷つけることを恐れて違いに目を向けないようにしていては成長が望めないと思います。そして枠組みを変えていけば同じ子がことごとく傷つく立場になるわけではないと思います。学びの場では平等だとか唯一無二の存在だという言葉で枠自体をないことにしない方がいいと考えています。比べたり競いあったりすることは、子どもが自分のありようを模索し自覚するために必要なことだと考えるからです。傷ついたり痛みを感じたことからの回復に手助けができるおとなでありたいと思います。