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マスク生活で思うこと

 コロナ禍で疲弊しているおとなと違って子どもたちの柔軟さに目を見張る思いをすることが増えてきました。子どもは変化を強いられることに対しての適応能力が高いと感じます。成長すること自体が変化を伴うものなので、当たり前なのかもしれませんが子どもたちが軽やかに適応していく様に触れることで元気をもらっている気がします。そして変化は悪いことばかりではないと気がつけるようになってきました。

 例えばマスク着用生活は相手の表情が見えなくて不便だと思っていましたが、マスクによって相手の目を集中してみることが習慣化しています。目を見て話すことは伝える力が強くなります。喧嘩を避けるために目を合わせないようにする習性があるように、目を見ることは相手との距離を近くし自分を押し出す力が強くなります。その分配慮した言葉を使わざるを得ないので、意識して言葉を選択するようになってきました。おまけに笑ってごまかすことができません。笑顔は目だけでは伝わらないからです。

 反面マスク着用で喋ると、声がくぐもって聞き取りにくいことがあります。そのため聞き返すことになりますが、この聞き返すことというのは相手が萎縮したり話す気力を削ぐものだと実感することも増えてきました。昨日も小学2年生に本はともだちで紹介した6冊の本に共通してるテーマについて聞きました。発言した子は「たんさく」と答えたのですが、2年生から「探索」という単語が出てくると思わなかったこともあり、「たんさく」が「探索」とすぐ変換できずうっかり聞き返してしまいました。そのためその子は「探す」「探索」と言い換えてくれました。萎縮せずに発言してくれたので助かりましたが、動揺して「探索」という言葉を選んだ理由こそ興味深かったのに触れることができませんでした。また子どもによっては聞き返されたことで自分の意見を取り下げてしまう子もいます。聞き返す時に間違えているのかもしれないというプレッシャーを与えずに聞き返す技術はマスク着用生活に欠かせないなぁと思いました。そして聞き取ってもらえないために「まあ話さなくてもいいや」という思いになるのは小学生にとってはいいことではないと思います。配慮したやりとりが必要になってきていると感じています。