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言葉のおもしろさ

 今まで自分が使ったことのない言葉に出会うと使ってみたくなるという気持ちが言葉の習得の原動力なのだと思います。そして言葉は、汎用性のある、使い勝手の良い物から覚えていくのだと感じています。言葉を使うには相手が必要で相手と意思疎通をするために言葉を覚えていくという側面があるからです。子育てをしていくとその過程を体感することができます。赤ちゃんは食べ物を「まんま」とか「うんま」といった大きな括りで捉えることから始め、徐々に「ごはん」とか「おやつ」といった食べる時間帯を表す言葉や「ご飯」「パン」といった食べ物の具体的な名称を使い分けていくようになります。そして「ご飯」も「白いご飯」とか「炊き込みご飯」とか「チャーハン」など、より具体的な料理の名前として言葉が増えていきます。言葉が増えることは伝えたいことを正確に伝えるためにはとても便利なことです。

 昨日取り上げた「探す」と「探索」に戸惑った理由は、小学2年生が「探索」という言葉を使ったことに驚いただけでなく、紹介した本6冊に共通するテーマとして「探索」という言葉を選んだことにあります。辞書を引くと「探索ー知ろうとするものの有様やありかを捜し求めること」とあります。これだけ見れば探すでも探索でもいいと思ってしまいそうですが、探索という言葉は宇宙探索という使い方をするように、探すには探すけれど大掛かりで壮大な印象を受ける言葉です。探すというテーマで選んだ6冊の中でも『きょうはなんのひ?』瀬田貞二/作 林明子/絵 福音館書店 などは特に探索という言葉で括るには無理があると感じました。

 そしてこういった言葉の使い方の感覚は、辞書を引くだけでは身につくものではないのだと思います。読書が大事だと言われる理由は物語をたくさん読むことが、このような言葉のニュアンスの違いに気がつけるようになるからだと思います。そして言葉のおもしろさは言葉の選択の境目が曖昧なことにもあります。ちょっと大袈裟な位の使い方を好む人もいますし、許容範囲が統一されているわけではないことも言葉のおもしろさだと思います。言葉の選択は自分の感覚を研ぎ澄ませていくことと言葉の意味を正確に捉えることによって成り立っているという感覚を育てるのが読書だと思います。ですから「探索」を選んだ子に対して私がこの言葉でどう感じるかを伝えたかったと思いますし、こういったやり取りの積み重ねが言葉のおもしろさを知る機会なのだと思います。

 また「探索」のように子どもが使うと子どもらしからぬと漠然と感じる理由は、その言葉を使うことでより厳密な表現になるため、子どもが表現したいことと一致しているのかに確信が持てないからなのだと思いました。そのため違和感を持つのだと思います。そこまで違いを感じて使っていないなら、違いを際立たせない言葉もちゃんとあることを子どもたちと感じていけるといいなぁと思います。