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好きって難しい

 私は好きな本の話をすることが子ども時代からおとなになっても長いこと苦手でした。好きな本になればなるほど、感想を言い合うことで同じに感じていないことに居心地の悪さを感じ、好きな気持ちに水をさされるような気分になっていたからです。今思えば当たり前のことで、物語の受け止め方もどう感じたかを伝える能力も個々違う上に感想を聞く側の受け取り方が伝えた側の意図を汲んでいるかも確かめようがない部分があるからです。けれど子ども時代の私は分かり合えないことが負担で本の話をすること自体を避けていました。そしてこれは感想を書くことが苦手だったことに通じているのだと思います。どう感じたかは自分をさらけ出すことでもあるので、わかってもらえないことが怖かったのだと思います。私の場合物語と自分が一体となりすぎて、たかが感想と思えなかったのです。

 この経験を踏まえてひとり読みを始めた時期の子どもたちと付き合っていて思うのは、この時期本とどう向き合ってどう感じているのかに踏み込まないことが大事だと感じています。おもしろかったかおもしろくなかったかという単純なジャッジで本を括ってしまっていい時期というか、むしろ単純に判断することが重要だと感じています。この時期は同じ本が好き、もしくは同じ本が好きじゃないという人と出会っていくことが重要なのだと考えるからです。みんな一緒でなくていいのです。たくさんの人が支持していることではなく同じものを支持する人が他にいることが読書の醍醐味を知る入り口だと感じています。

 そしてこれを支えるのは、はずれのない選書です。繰り返し読むことに耐えうる本を揃えた上で読んでみてどうかという話が成り立ちます。本をおもしろいと思ってもらいたいが故に、子どもが好きそうな流行り物や漫画でもいいという考え方は、おもしろいと思えない本ばかりに出会ったために本に見切りをつけてしまった世代が読書に再チャレンジする際に有効な手段です。読み始めの子どもたちは、まだ本に見切りをつけるほど読書をしていません。好み以前に読書の楽しみ方を知らないと考えています。読書に取り組んでみてジャッジしていくということが自分の読書の好みを知ることです。読書は子どもの育つ課程や時期、そして個人の内面に深く関わっているものです。踏み込みすぎず、けれど子どもたちが自分自身を理解していくためのサポートが必要なのだと思います。