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自分はできる

 幼児はやろうとしたことがうまくできないと、じれて癇癪を起こすことがあります。癇癪だけ見たら褒められたことではないですが、じれていること自体は悪いことではないと感じます。そこに「自分はできる」という強い意志があるからです。たとえ根拠がなくともこの「自分はできる」という感覚は子どもが育っていく上でとても重要だと考えています。「自分はできる」ということと近い感じの言葉に「自己肯定感」があり、最近「自己肯定感」を育てなければと考える人が増えてきたように思います。そして「自己肯定感」はありのままの子どもを認め子どもの行動を褒めることで育つといった印象を持たれているように思います。けれど「自分はできる」という感覚はそれだけでは持てない気がします。

 乳幼児期の子どもにとっておとなの気を引き注目してもらうことが生きていく上で欠かせないことです。人間はおとなの庇護なしでは生きられない状態で生まれるからです。必要なのは褒めることではなく子どもの行動に集中することです。四六時中注目しているということではなく子どもの呼びかけに応えていくというなんの変哲もないことが必要なのだと思います。生活している中での子どもの「みてみて」とか「あのね」に応えることの積み重ねが「自分はできる」につながっていくのだと感じています。生活していく中で呼びかけに応えてもらえることが当たり前と思えてはじめて自分という概念が生まれるのだと考えています。そのため乳幼児期の子どもを一度に相手にできるのは3人ぐらいまでではないかと思います。そして集団に入って行動できるのはおとなに注目してもらって自分という概念ができ自分はできると思えるようになってからなのだと考えています。ですから集団生活で問題行動を起こしている子どもたちはある意味成長しようともがいているのだと思います。集団で活動することだけ考えると他の子の邪魔をしていると判断されますが、時間と場所を選んでその子の周りにいる大人がその子の呼びかけに応えることを心がけるしかないのだと思います。