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翻訳 その1

 私はありがたいことに海外作家の絵本や児童文学が次々と翻訳出版された時代に子ども時代を過ごしました。そのため日本という国に暮らしているという自覚が育つ前に日本の作品か海外の作品かの区別なく物語と出会い親しんできました。そして絵本や児童文学で語られることは物語の中のこととして捉えていたので日本と外国の生活を比べるような視点がなく生活習慣や文化の違いに注目することはなかったように思います。そして物語に書いてあることに対して自分以外の感覚や知識を受け取ることなく物語を自分の力で自分の中に取り込んで自分の中で楽しんだので現実世界が物語の中に入り込むことはありませんでした。思い返してみるとパソコンが家庭に普及する以前に育ったので今ほど情報量がなく、田舎暮らしで外国の人を見かけることもなかったこともあり外国を意識する生活ではなかったと思います。

 親しんだ物語が日本語でない言語で書かれていて日本語に翻訳されていることに興味を持ち、それをはっきり認識したのは中学生になってからです。当時英語が教科として始まるのが中学1年生からでしたが私は生意気なことに教えられる内容に興味が持てませんでした。読書することで日本語の構造を感覚的に身につけていた私は性に合わないと感じたのです。日本語も授業で教えられた通りきちんと文法で構造を把握していればその対比で英語の授業に興味が持てたのだろうと今は理解できますが当時はわかりませんでした。そんな中同級生が英語の授業が楽しくなる方法として自分の興味のあるものから入るといいと教えてくれました。その友人はビートルズなどの英語の歌が好きで歌詞の意味が知りたいという気持ちが英語を学ぶ意欲になっているからというのです。

 そこで私の場合好きな絵本だったら興味が持てるだろうと作家の使っている言語に注目して見直してみることにしました。とてもいいアイディアだと思ったのですが最初に手にしたのが『ちいさなうさこちゃん』だったことで結局英語に役立っていくということにはなりませんでした。なぜ『ちいさなうさこちゃん』だったのかといえば幼い頃初めて買ってもらった絵本が『ちいさなうさこちゃん』だったという記憶があったからです。けれど『ちいさなうさこちゃん』はオランダのディック・ブルーナーの作品だったので元は英語ではないのだということの方に驚いてしまいました。それでも英語版から翻訳されているということを知り英語版を手に入れたのですがさらに一番驚いたのが名前だったので文章まで興味が続きませんでした。今でこそ「ミッフィー(Miffy)」という名前が広く知られていますが当時うさこちゃんが「Miffy」と書かれていることに違和感しかありませんでした。またお父さんお母さんを「ふわふわさん」と「ふわおくさん」と表現する言い回しが子どもの頃とても好きだったのが「Mr Rabbit」「Mrs Rabbit」と書かれていて英語に興味を持つどころか日本語の素晴らしさを実感することにしかなりませんでした。