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楽しいを見極める

 読書することは「楽しい」という感覚なしには成り立たないと考えています。けれどこの「楽しい」という感覚は様々なものを内包するため子どもの読書を支える側を悩ませる感覚でもあります。

 多くの人が読書することに対して概ね肯定的な印象を持っているのは学びと直結していると感じられるからだと思います。そしてその学びを楽しいと感じることは年齢が上がってからの感覚だと考えられています。確かに知識が増える喜びや物事に対する理解が深まっていく感覚、そしてそれらが自分を高めていってくれる満足感を子どもたちに説いても共感を得ることが難しい感覚だと思います。けれど子どもたちにも自分の進化を喜ぶ感覚があるのだと体験的に感じています。私は「本はともだち」事業で出会った子どもたちから「本が読める」ということに子どもたち自身が驚きと喜びを持つことを教えてもらいました。難しいと思っていたのに読めるようになったという喜びを語る子どもたちの感想は子どもたちが成長を望んでいる証だと感じています。できなかったことができるようになるということは子どもたちに深い満足感をもたらします。そしてこれも「楽しい」に含まれることだと思います。概念として理解させるのではなく体験を積み重ねることで結果として「楽しい」につながるのが子どもの学びなのだと思います。

 最初から「楽しい」と感じる楽しみもありますが、はじめはそうでもなかったけれどだんだん「楽しい」になっていくこともあることを意識しないと読書へは誘えないと考えています。例えば自転車に乗ることが似たような感覚かなと思います。乗れるようになるまでは転んだりしてちっとも楽しくないけれど、それでも乗り続けているうちに乗れるようになって乗ることが楽しくなるという感じでしょうか。自転車に例えると読み聞かせは補助輪かなあと思います。補助輪は自転車に乗れなくても乗る楽しさを味わえ、読み聞かせは自分で読めなくても物語を楽しめます。だからこそ、読み聞かせだけでなく自分で読むことを子どもたちに勧める必要があると考えています。「楽しい」を今だけに適応せずに長期的に見ることも子どもの読書を考える時には忘れてはならない点だと思います。