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時間の確保

 読書する力を身につけていく過程を考える時、自分が辿った道を無意識に思い出し参考にしている気がします。時代が違うから参考にならないと考えることもありましたが突き詰めて考えていくと、そもそも家庭環境がそれぞれ違うので問題になるのは時代だけではないと考えるようになりました。読書に限らず子どもが育っていく過程はどこに焦点を当てるかで共通項が見えたり見えなかったりすると感じています。人間という括りで大きく捉えると時代云々が影響しない本質があるのと同様に子どもが育つということに関しても生活環境を差し引いても残る同一必要条件があると思います。人間の子どもは個では育つことができず、群の中で育っていくものだと思います。安心して生活できる家があり信用できるおとながいて自分以外の子どもがいることが子どもには必要です。こういうと血のつがなりや経済的に恵まれていることなどに目が行きがちですが問題はそこではないと思います。こういった最低限必要なものという視点は時代に左右されない本質を探り当てるのに有効です。

 読書に当てはめると最低限必要なのは「時間の確保」だと考えています。自分のことで考えても忙しさと読書に関連性はほとんどありません。忙しくても読みたければ時間を捻り出しますし、暇だから読書するとは限りません。無意識かもしれませんが自分の時間を使うに値するもしくは自分の時間を使いたいという判断のもと読書をしているのだと思います。そしてそれは時間の使い方が完成しているおとなだから成り立っています。子どもは時間で動くことのトレーニングをしつつ時間の使い方を習得している過程にあります。自分の生活を何時に起きて何時に寝るというように時間に置き換え時間の感覚を培っているのだと考えています。1日は24時間でその24時間の感覚を身体に覚え込ませているといったところでしょうか。楽しいことを気の向くままやっている訳にはいかないこと、仕事や睡眠や食事といった削れない時間があるので24時間といっても自由になる時間は意外と少ないことなどを生活することで身体に染み込ませてきたのがおとなです。ですからまだ時間の感覚が完成していない子どもに自分で「時間の確保」をすることを求めるのは無理なのだと考えています。

 そして子どもの「時間の確保」に学校図書館はとても有効です。自宅のようにゲームや動画といった他の誘惑がなく本だけに向き合う環境が整っています。そして図書館の時間が確保されているため読む時間を自動的に確保できることになります。ですから図書館の時間は本を選ぶことより読むことに費やして欲しいと考えています。朝読書などもそうですが、強制的に読む時間を用意することは子どもの読書を考える上では必要なことだと思います。本を読むことが楽しいという視点からのアプローチも必要ですが、それだけでは足りないのではないかと思っています。